第121回 閑話休題 ~「キラリナ吉祥寺」開店!ゴールデンウィーク・GWの吉祥寺の楽しみ方(Blog de 吉祥寺流) 





 




















 
ゴールデンウィーク2014
 
今年もゴールデンウィークがやってきました。ただ日並びは少し残念。昨年2013年と同じように、昭和の日を中心とした前半、建国記念日からの後半分離するパターン。さらに消費増税、円安もあり、どちらかというと近場の商業集積や行楽地が人気のようです。


そこで、今回のBlog de 吉祥寺は恒例「ゴールデンウィーク」特集

4月23日、京王吉祥寺ビルに「キラリナ吉祥寺」がオープンして話題の吉祥寺。ファッションや路地裏カフェだけが吉祥寺の魅力ではありません。今回はBlog de 流「ゴールデンウィーク2014!ちょっと変わった吉祥寺を楽しもう」篇を、前後半に分けてお届けしましょう。

まずは前篇からどうぞ。

■参考:キラリナ吉祥寺
http://www.kirarinakeiokichijoji.jp/


※万人お奨めのプランではありませんので、悪しからずご容赦ください












キラリナ吉祥寺は"最後"にしよう!

まず最初に、Blog de 吉祥寺が提案したいのは「キラリナ吉祥寺は"まちあるきの最後に"」という点。人があふれかえる吉祥寺の街、歩きまわるのは体力がいりますよね。せっかくのゴールデンウィーク、駅構内で体力を使ってしまっては勿体ない 


キラリナは最後、まず街に出よう!というコンセプトをお薦めします。







 












まず

吉祥寺駅南口を出て丸井を正面に見て左へ進んで下さい。井の頭線吉祥寺駅ガードをくぐると交差点末広通りの入口につきます。大きな工事をしていますが、これは秋開業予定の「ヤマダ電機」さんのビル工事です。


1.激動のガード:井の頭線吉祥寺駅高架


 
















 

この井の頭線吉祥寺駅のガード。なんの変哲もないガードですが、実は壮絶な歴史が隠されています。このガードをくぐる道が吉祥寺大通り。かつての都市計画道路名は「武蔵野市都市計画道路1・2・1号」でした。

昭和62年の吉祥寺駅北口再開発に合わせて開通した道路ですが、最大の難関は「常時運転している京王井の頭線の駅舎の下をどう通すか」という点。さらに、技術的な点も去ることながら、その費用をめぐって東京都・武蔵野市・京王帝都電鉄(当時)の3者での度重なる交渉が繰り広げられました。

そんな往時の歴史を振り返りつつ、ガードを眺めてみてください。

■参考:副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(10)  

  http://www.kichijoji-city.com/2011/05/blog-post_22.html



2.江戸期の吉祥寺の目抜き通り:末広通り

























 



この「末広通り」、かつては北口側の東急裏で有名な「中道通り」駅北口から西に延びるバス通り「平和通り」一体の通りでした。明治22年の甲武鉄道(現JR中央線)開通後、吉祥寺駅舎と線路で東北・南東方向に斜めに分断され、今はそれぞれ別の「通り」になっています。









これら3つの通りの位置関係を地図で確認しながら歩くと、当時、日露戦争前夜の「吉祥寺駅開設前の街の姿」が見えてくるかもしれません。

■参考:吉祥寺の街が変わる!?進む再開発事業とは (5)

  http://www.kichijoji-city.com/2013/08/blog-post_24.html#more



3.再開発の夢の跡:水門通り




 















末広通りを進みます。何本も交差する通りがありますが、その1本が「水門通り」です。吉祥寺の繁華街の東の外れを南北に五日市街道~井の頭恩賜公園東端まで伸びている市道です。公園東端にある神田川水門の袂にある「水門橋」にその名の由来しています。
























昭和62年の吉祥寺駅北口再開発の初期計画の開発範囲は、ヨドバシ吉祥寺前の「吉祥寺大通り」までではありませんでした。実はさらに東側、この「水門通り」の先の「弁天通り」までだったんですね。そしてこの水門通りは、交通の要所となる計画でした。























■出展:武蔵野市議会報


つまり

当初計画通り実現していれば、水門通りは東急吉祥寺店前を南北に走る「公園通り」の様になっていたかもしれません。

その公園通りと比べつつ、この物静かな通りを歩いてみると、まちづくりの歴史の「偶然と必然」を感じ取れることでしょう。

■参考:副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(4)
  http://www.kichijoji-city.com/2011/04/blog-post_8.html








 













さらに

この「水門通り」を南へ井の頭恩賜公園方向に歩きます。すると途中で「井ノ頭通り」(都道413号赤坂杉並線)と交差します。その際、この井ノ頭通りに向かってわずかに上る「高低差」に気づきます。

ご存じの通り井ノ頭通りの別名は「水道道路」。この道路の地下、境浄水場(武蔵野市)から旧和田堀給水所(世田谷区)間には水道管が埋設されているからです。

















■写真:新宿の旧淀橋浄水場(玉川上水系の水を使用)

災害時、いざポンプ動力が停止した際、この水道管を通って水道水が自然流下で都区部へ送水できるように傾斜がついています。その高低差を維持するため交差道路に軒並み上り下りが生じている訳です。

そして、その設計思想の原点は吉祥寺のガンジス=「玉川上水」です。




 

4.アプローチに刻まれた歴史:
  京王井の頭線吉祥寺駅~井の頭公園駅間踏切


























井の頭線が吉祥寺駅を出発します。その時に最初に交差する踏切が水門通りです。その踏切を渡るとき、井の頭線の線路が急勾配である点に注目してみて下さい。神田川沿いの井の頭公園駅を出ると、一気に武蔵野台地の崖線を上り、井ノ頭通りと吉祥寺大通りのガードの高度まで上げていくのですが、そのハイライトにこの踏切はあります

この踏切にも隠された歴史があります。井の頭線の前身=帝都電鉄建設時、昭和恐慌の時代にコスト削減の観点からやむなく神田川沿いのルートに計画変更された歴史、吉祥寺駅に向けた高架の盛土が調達できず、吉祥寺駅~井の頭公園駅間開通が1年遅れた(昭和9年)歴史等ですね。
























■渋谷急行電鉄(現井の頭線)のルート変更に関する目論見書
  (国立公文書館所蔵)


ちなみに盛土は、当時小高い丘だったと言われる幻の「富士見ヶ丘」を切り崩して調達したエピソードは以前特集しました。





5.神仏分離の被害者?:
  ひょうたん橋水門




 






















踏切を渡り水門通りを進みます。するとやがて井の頭恩賜公園の東端に着きます。その時目に入るのが「ひょうたん橋」と石造りの水門ゲート

このゲート、神田川の源流に位置しています。よくみると実に立派な柱石が使われていますね。とても水門に使われる石材とは思えません。
























 ■井之頭弁財天の参拝路上にある「黒門(黒鳥居)」

それもそのはず。これはその昔、井之頭弁財天(弁天)への参拝ルート上にあった黒門(鳥居)を再利用したものなんですね。

明治初期の神仏分離令(神号々仏語ヲ用ヒ或ハ仏像ヲ神体ト為シ鰐口梵鐘等装置セシ神社改正処分・三条)施行の折に撤去された鳥居を柱石に使っています。井の頭恩賜公園開園前のレアなエピソードです。



6.開業当時から刻まれた時間:
  京王井の頭線架道橋(吉祥寺駅~井の頭公園駅間)




 




















ひょうたん橋から神田川に沿って井の頭公園駅方面に歩きます。すると見えてくるのが井の頭線の鉄橋。井の頭公園駅から神田川を渡河して武蔵野台地への勾配のアプローチとなっている鉄橋です。実はこの鉄橋、井の頭線の前身「帝都電鉄」開通当時のものが現在も使われているのですね。




 





















銘板をみると「昭和七年拾月 東京竹内清鉄工所制作」とあります。帝都電鉄の井の頭公園駅~渋谷駅間が開通したのが昭和8年8月のこと。実は既にその10か月前にこの架道橋本体は完成していたことになります。

吉祥寺駅~井の頭公園駅間が遅れて開通した昭和9年4月。その間1年半、盛土の工面に奔走していた様子が忍ばれます。


■参考;井の頭線開通秘話 特集
http://www.kichijoji-city.com/search/label/%E4%BA%95%E3%81%AE%E9%A0%AD%E7%B7%9A%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%82%8B%EF%BC%81


余談ですが2017年は井の頭恩賜公園100周年。さまざまなイベントが計画されています。ただし忘れがちなのは、今年2014年のこと。実は井の頭線吉祥寺駅開通80周年記念です。




7.井の頭池の源流OF源流s:浅井戸1号





















さて、井の頭池の畔を御殿山まで歩くと、林の中にひっそり佇むのがこの黒い機械。井の頭池の水は武蔵野台地の崖線から湧出する地下水ですが、近隣開発により井戸水の湧出量は減少、現在はポンプでくみ上げています。

その1号井戸がこの機械(ポンプ)となります。いわば井の頭池の生命線であり、神田川の真の源流というべき井戸です。








 

















また 

この井戸から配水管を通って「御茶ノ水」や池の畔各所に地下水が配水されています。その分岐点には、写真の様に、それを示すポイントが埋められています。これらを探すのも良いかもしれません。

ただし公園設計者である井下清氏の「自生の草木を大切にする」思想を大切にするため、むやみに立ち入らず、人が踏み固めている小路を行くように心がけましょう。

■参考;閑話休題:井の頭公園の『掻い掘り(かいぼり)』をめぐる騒動を考える
  http://www.kichijoji-city.com/2014/02/blog-post.html#more





 8.井の頭の原風景:御殿山の杉林






 


















この御殿山の杜。井の頭池から井の頭自然文化園または西園方面への広がる、井の頭恩賜公園の原風景です。杉木が多く植生している点が特徴です。ただし、これらの杉はもともと自生していたものではありません。明治初期に神田上水の水源地である井の頭池を保護するため約1000本の杉が植えられた「人工の水源林」である点がポイントです。
























■参考:井の頭池周辺の土地を明治初期に政府が買い戻した際の書類
     (国立公文書館所蔵)

これら井の頭池全体を覆っていた水源林の杉たち。実は第二次世界大戦中、戦没者のための棺桶用の資材として、その多くが伐採されました。その伐採を免れた数少ない杉である点も歴史を感じさせるエピソードです。

■参考:2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う(3)
  http://www.kichijoji-city.com/2012/09/2017100_23.html#more





9.公園の真の入口:井の頭恩賜公園「正門」




 






















皆さんは、井の頭公園に足を運ぶ時によく通るのはどの道でしょうか。丸井の脇から延び「いせや公園口店」のある七井橋通り(市道第151号線)という方が多いのではないかと思います。

それでは井の頭公園の正門とはどこなのでしょうか。実は、正門は御殿山の自然文化園入口に近い「公園通り(吉祥寺通り)」にあります。現在は車やバスが行きかう吉祥寺通り(都道114号武蔵野狛江線)。実は都道として整備される前、この道は公園正門と園内の目抜き通りだったんですね。



















その入口に建つのが井の頭恩賜公園の入口であることを示す「石碑」です。その内容も「東京"市"井ノ頭恩賜公園」ですから、東京市制施行の1889年、東京府から東京都となった1943年以前の歴史が刻まれています。

東京"都"に慣れた私たちは、その重み感じることができるでしょう。

■参考:2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う(5)
http://www.kichijoji-city.com/2012/10/2017100.html#more





 















ということで

前篇はここまでです。今は書店やコンビニで吉祥寺を特集した雑誌や書籍がたくさん売られています。それらに掲載されているカフェや小洒落た店舗とうまく組み合わせながら、ぜひ吉祥寺の「歴史」を感じてみて下さい。

繰り返しますが「キラリナ吉祥寺は"まちあるきの最後"」を忘れずに。


それでは後篇に続きます。