第8回 総力特集 井の頭線延伸計画を追う(3)
























たての緑道

ということで、、前回から続く第三弾。今回が特集最終回!です。昭和20年代後半に計画された井の頭線延伸計画、そしてその引き金?となった幻の鉄道の話から、さらに先へと進むわけですが、少し閑話休題

前回の話にでました、東久留米とひばりが丘を結んだ幻の線路。これはその後いったいどうなったんでしょうか。そのキーワードが「たての緑道」なんですね。



















■ひばりヶ丘団地
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%81%8C%E4%B8%98%E5%9B%A3%E5%9C%B0

結局、戦後しばらく線路はそのまま残り(皆さん、ご存知のとおり井の頭線は延伸されず)、当時東洋最大の団地と言われたひばりが丘団地の建設資材運搬用に使われたんだとか(詳細は不明らしいです)。そして昭和52年に東久留米市が跡地を緑道として整備、できたのが冒頭の「たての緑道(東久留米市)」なんですね。


■たての緑道
http://genki365.net/gnkh03/pub/sheet.php?id=25300

ではでは、なぜ土地買収まで進めながら延伸できなかったのでしょうか。

実は京王帝都が着々と延伸に向けた用地買収や測量を進めていた時、突然、強力なライバルが現れるんです。そのライバルこそ「西武鉄道」だったんですね。その時に西武鉄道が考えたのが武蔵境~田無~ひばりが丘という路線。つまり現在の西武多摩川線の延伸計画だったんです。








■延伸線の路線図(当時の計画資料からBlog de 吉祥寺編集局で推定)

その後、京王と西武は激しく争います。鉄道について色々と決め事をする国の運輸審議会で「うちがつくるから、手をひけよ。こっちは渋谷まで直通なんだからさー(京王)」「お前ンとここそ手を引けよー。そんなことされたら、東久留米や田無から新鮮に乗り換える客が増えちゃうじゃないか(西武)」と激しい応酬があったかどうかはわかりませんが、両者の主張は平行線をたどり調整がつきません。そしてついに裁判にもつれこみます。

■国土交通省 運輸審議会http://www.mlit.go.jp/singikai/unyu/unyusin.html



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昭和30年11月 武蔵野市議会議事録
井の頭線延伸問題について
荒井市長(当時)「裁判待ち」との発言
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結局、最終的には、京王帝都・西武鉄道ともに手を引く結果となり、土地は地主に返還されて延伸計画は立ち消えとなったわけですね。そして、井の頭線は吉祥寺駅が終点となり、西武多摩川線も、武蔵境と是政を往復するのみで、西武本線と分離した不思議な路線になってしまったんです。



■資料:延伸線の免許申請取り下げ願い(京王帝都電鉄)




今の武蔵野市役所付近はバス交通のみの、なんとも不便な場所ですが、井の頭線が延伸されて仮に武蔵野緑町駅ができ、かつ以前特集した「武蔵野競技場線(三鷹駅~武蔵野競技場前駅〔現在のグリーンパーク付近〕)が残っていれば、随分と便利な場所になったでしょうね。

そこに日本最大級のグリーンパーク球場があり、プロ野球球団の国鉄(JR)スワローズ(現ヤクルトスワローズ)が誘致できていたとしたら(以前に特集したブログをご覧ください!)、今の吉祥寺はまったく異なるものになったことでしょう。

昭和31年10月にグリーンパーク球場は解体され、その翌年4月には日本住宅公団が敷地5万7342㎡を一括買収して団地造成を開始、武蔵野緑町団地が完成していくことになります。



■出典
武蔵野百年史こぼれ話(平成19年11月)
武蔵野市企画政策室広報課


■ブログ作成日: 2010年9月24日

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過去の「Blog de 吉祥寺」関連特集はこちらです!

 
■開業100年!井の頭公園特集


■副々都心へ!吉祥寺再開発の歴史特集

■幻の井の頭線計画?小田急電鉄と井の頭線の接続線の謎を追う!




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