Blog de まとめ!!第51回~第75回をハイライト!


















75回!!

という訳で「Blog de 吉祥寺」もお陰さまで第75回を迎えました。第1回は2010年8月18日ですからそこから約1年。1日30~40名程度、多いときは100名近い皆さんにアクセスいただいております。ホントありがたい限りです。ということで今回は恒例のBlog de まとめ!、直近の51~75回(78回)までをプレイバック。

とその前に、ここ最近のBlog de まとめからどうぞ!


■30回まとめ!はるか昔の五日市街道開通からコピス吉祥寺オープンまで!   http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/2010/11/blog-post_19.html
 30回は昨年の10月頃。今や吉祥寺の顔になりつつあるコピス吉祥寺のオープンの頃でした。























■50回記念総集編!Blog de 吉祥寺をまとめ読み~!
  
http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/2011/04/50blog-de.html
 2011.3.11直後に迎えた50回記念。震災支援企画など。
いまだに3月11日の記憶は鮮烈です。実は吉祥寺も江戸年間の大火事の被災者が避難/移住してきて拓かれた街だったんですね。

吉祥寺から何かを発信せねば、ということで多摩のブログポータル「たまりば」さん、そして吉祥寺のしゃべり場「きちカフェ」さんの取り組み「吉祥寺・多摩から東日本震災被災地へのエールを~! 」企画を追ったんです。

吉祥寺や多摩の飲食店や団体さんから届いた多くの寄せ書きは、今回の震災対応の政府拠点ともなった岩手県遠野市に送られ、地域放送局の遠野テレビを通じて遠野市の本田市長をはじめとする関係者の心に届いたとのことです。有難うございました!




さて、そんな訳で51回以降は、吉祥寺の街と交に関係するテーマに切り込んできました。





■副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/search/label/%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA

時は第二次世界大戦の戦乱の跡を感じさせる昭和29年吉祥寺駅前広場整備として始まった再開発事業。当時はまだ吉祥寺大通りもサンロードのアーケードもない時代。そこから中央線高架&複々線化と合わせて吉祥寺駅周辺再開発事業に話は拡大。















行政、地元商業者、地元住民が三つ巴で紆余曲折を経て広場が供用されたのが、30余年後昭和62年3月31日のこと。当時前例がないと言われた都市計画道路を2本通す国内最大級の再開発事業、それがなければ、今の駅前広場も、吉祥寺大通り(ヨドバシ前の通り)、本町新道(新ブックオフ前の通り)もありませんでした。この30年間の激烈な歴史を全12回でまとめました。





■ゴールデンウィーク特集2011!吉祥寺のガイドマップ!~総集編~ 
 Blog de 吉祥寺流~ゴールデンウィークの吉祥寺の楽しみ方!
http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/search/label/%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

震災余波も覚めやらぬうちに突入した今年のゴールデンウィーク。その影響を心配するまでもなく、たくさんの人が吉祥寺に来街してました。そんなときに困るのが、吉祥寺のどこに行ったらよいんだろう、ということ。今は多くの雑誌で吉祥寺が特集されていますから、それらを観て決めるのも一策。そしてもう1つは街でたくさんは配られている吉祥寺の案内マップ類をみること、ですね。これらのガイドマップ類や、Blog de 吉祥寺流のお勧めスポットをまとめました。


























■吉祥寺の大動脈!関東バスを追う
http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/search/label/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E3%83%90%E3%82%B9%EF%BC%81%EF%BC%81

今も吉祥寺の街をたくさんの路線バスが走っています。そんな中でひときわ独特のカラーリングで多くのお客さんを運んでいるのが関東バス。このカラーリングは、実はかつてアメリカで一大路線網を築いた鉄道会社の車両のカラーを模したものといわれています。

関東乗合自動車工業の時代から、アメリカを夢みた中興の祖たる経営者の時代、そして大戦による本社の被災、そこからの復興、といった、吉祥寺の交通の要=関東バスの創業から現在までを追いました。



















■きちカフェ!
http://kichijoji.kaihatsuyosoku.com/search/label/%E3%81%8D%E3%81%A1%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%EF%BC%81

吉祥寺のしゃべり場!として定着した感のある「きちカフェ!」。ワールドカフェというお話の形式を使って、職業や立場、声の大小にとらわれない自由な議論の場として設定されました。どういう内容なの?というお問い合わせの声にこたえて、5月、6月実施のものを特集してみました。ちなみに現在は核となる吉祥寺ワミューズさんの移転に伴い8、9月の2ヶ月はお休み中
















10月以降「(仮)武蔵野プランナーズカレッジ」として改めてスタートする予定です(ちなみに吉祥寺の飲食店でおいしい食事をいただきながら、しゃべりあう従来の「きちカフェ」も不定期でやりますよ)。Blog de 吉祥寺でもしっかり応援して参りますので、またご案内しますね。






という訳で、75回(78回)までのBlog de まとめ!でした。次回は閑話休題。その後はまた新しい企画となりますので、どうぞこれからもよろしくお願いします~。




吉祥寺の大動脈!関東バスを追う~(最終章)





















80年

という訳で、今回のBlog de 吉祥寺も関東バス特集。古くは関東乗合自動車、1931年のクリスマスの設立ですからザッと80周年を迎える訳ですね。当初は北新宿の歯医者さんが発起人で立ち上がった零細ベンチャー企業も、現在では路線バスを約400台、観光高速バスを約20台抱えるまで成熟したんですね。




そしてご存知「ムーバス」も実は関東バスが受託運行しています。ちなみに中野区の「なかのん」やお隣杉並区の「すぎ丸」の一部路線も。かつての1950~60年代、路線バス黄金期の様な勢いは無いですが、こういったコミュニティバスの運営など、もはや地域には欠かせない存在なんですね。








48系統

そして、そのハブである吉祥寺。今日も多くの路線バスが行きかっている訳ですが、すべてのバス会社を合計すると、いったい何本の路線バスが運行されているんでしょうか。その数字がコレ(2011年8月現在)。ムーバス5系統を含めると約50系統強の路線バスが運行されています。この数、新宿駅以西(~高尾駅)間のJR中央線の中では八王子に次ぐ系統数なんですね。乗り入れ車両も実に4社に及びます。



なかでも最も多いのは関東バス、、、と思いきや実は小田急バスさん。20系統弱を運行していますね。確かに南口はほとんど小田急バスですよね。そして次に多いのが関東、、いや実は西武バスさんで、15系統を運用しています。





次いで関東バスの13系統。残りは京王バスさんの1系統、前回特集の折に話題となった小田急バスさんとの競合運行「吉祥寺駅~調布駅」の路線なんですね。吉祥寺駅発着の唯一の共同運行路線です。皆さん意外な感じでしょうか。たぶん関東バスはボディカラーが派手なのと、近場で本数が多いため目立つんでしょうか。



さらにいきますと都市部で多い循環バスの系統数は1系統のみ。こちらも小田急バス、「吉15系」です。そして路線バスの興隆の祖となった団地行きバスは2系統、「牟礼団地」(小田急バス)、「桜堤団地」(関東バス)です。こちらはかつてとあまり変わっていませんね。




最近できた向台町近くの大規模マンション「ヴィーガーデン西東京」は、関東バスが2011年11月より路線バス運行を始めたもののその行き先は三鷹駅&武蔵境駅。吉祥寺駅とは直結していないですね。





さて今度は変わった路線バスをみてみましょう。かつては吉祥寺駅発で江ノ島行きの超長距離路線バスがあった訳ですが、今の時代にはどうなんでしょうか。皆さん、吉祥寺駅発の長距離路線言いますと、どの路線を思い出しますか?。



例えば小田急バスさんになりますが「よみうりランド」行き(吉07系)ってのがあります。終点までの所要時間は約1時間弱、停留所は33個ありますね。これが最長なんでしょうか?ところがたぶんさらに長いと思われるのが同じく小田急バスさんの「新宿西口」行き(宿44系)なんですね。吉祥寺駅から井の頭通りをひたすら東へ、甲州街道をさらに進んで新宿駅西口まで。所要時間は約1時間強だとか。微妙ですがこちらに「吉祥寺駅発着の最長距離」の軍配が上がりそうですね。

ちなみに吉祥寺駅発着の関東バスの最長は「向台町5丁目行」でしょうか。停留所は実に22個あります。しかしこれも新宿西口駅行きの同36個には遠く及ばない感じですね。余談ですが関東バス全体での最長路線は高円寺駅~赤羽駅路線。停留所の数は30個になるんですね。







ということで

第二次大戦前の1931年、期せずしてかの中島飛行機と同年に産声を上げた時代のベンチャー企業関東乗合自動車。戦前戦中はライバルと競いつつ、国策的な合従連衡の狭間でもまれながら、戦後に中興の祖を迎えて、飛躍的に路線拡大を果たした関東バス。今では吉祥寺の街には無くてはならない交通の要な訳です。



皆さんも普段、関東バスに乗る機会があれば、のんびり外をながめながら、この長大な歴史絵巻を思い起こしてみると、少し乗り味が変わる?かもしれませんね。ってなわけで全10回の関東バス特集もこれでおしまいです。




吉祥寺の大動脈!関東バスを追う~(9)



















江ノ島行き

ということで、引き続きBlog de 吉祥寺は「関東バス特集」。ってな訳で、前回は「関東バスは京王資本下にありながら、なぜ経営統合されなかったの?」というお話。戦前戦中戦後にかけての東京都下の郊外拡大に伴う路線バス網の拡張、当時の路線バス事業はまさにベンチャービジネス。アンダーグラウンドでは諸々の紆余曲折&合従連衡があったって訳です。


そして時は戦後の1950年代、上下水道網の普及と共に道路舗装&整備が進められ、いよいよ路線バスの黄金期を迎えるんです。路線拡張は競合同士の激突を生み、同一路線に2社以上が相互乗り入れで運行するパターンなども。吉祥寺駅だと、吉祥寺~調布駅間の路線がそう。小田急バスと京王バスの2社が仲良く分け合って運行してます。


そしてそんな中、運行され始めたのがる「長距離路線」。長距離路線といえば現在の「高速バス」を思い起こします。しかしどっこい、1950年当時は高速道路などありません(1963年の名神高速開通が日本の高速道路の夜明け)。完全なる「下道(したみち)」走りの路線バスの長距離版だったんです。


<長距離路線バスの歴史>
  1949年 新宿西口~八王子(京王)
  1949年 荻窪~青梅(東京都交通局)
  1950年 東京駅~武蔵境(小田急、京王、東京都)
  1961年 立川駅~奥多摩湖(立川、奥多摩)
  1964年 立川駅~八王子駅~江ノ島(立川、京王)


ということで、荻窪~青梅駅の路線バスってのはスゴいですね。ひたすら青梅街道を西進!いう感じなんでしょうか。なかには立川~八王子~江ノ島ってのも。1960年代は本格的なレジャーの時代が到来して江ノ島観光が一大ブームとなったんです。海水浴は江ノ島、旅行は熱海という時代。。













1964年
 
ここで登場したのが吉祥寺~江ノ島行きの路線バス。運行は小田急バスと京王バスの2系統。吉祥寺駅が高架になる前の南口から出発してました。実はさっきの調布駅行きのバス、かつては経由して江ノ島までお客を運んだ超長距離路線バスだったんですね。



そして肝心の関東バスはというと、あまり長距離には積極的に手を出さず、地場の路線網の充実に邁進します。なぜなら域内の人口が激増してたから。その原因は「団地」なんですね。昭和30年には日本住宅公団が設立され、戦災による住宅不足解消や、都下に激増した都心勤めのベッドタウンとして「団地」がどんどん造成されたんです。
















吉祥寺界隈ですと、

 1958年 牟礼団地 
 1959年 桜堤団地 


が出来ました。牟礼団地には小田急バスが、桜堤団地には小田急と関東バスが乗り入れを開始するんです。今でも吉祥寺駅から桜堤団地行きが入っていますね。こうしてレジャー時代団地造成の追い風を受けて路線バスは黄金期を迎えるんです。


しかし、道路や駐車場が整備されるということは自家用車も増えるということ。1970年代は自家用車が増え、電車の本数増に伴う開かずの踏み切り」の常態化、など路線バスにとっては受難の時代に。










以前特集した吉祥寺駅再開発も、交通事情の悪化が事業着手の大きな理由でしたね。たしかに吉祥寺サンロード(当時は駅前通りという名前で、アーケードの無い商店街。今のヨドバシカメラ前の通り=吉祥寺大通りの無い時代ですねー)を関東バスが走り抜けていた、という時代背景からも、その点が垣間見えます。


写真出典:武蔵野市報 昭和62年3月21日(昭和30年代駅前通り)

ともあれ公共交通機関にとって「定時性」は最重要課題。走行環境悪化で、そこが大きく損なわれることになった路線バス。1973年には吉祥寺~江ノ島駅の路線バスもついに廃止になり、「踏み切りを越えない」短距離路線メインの今の姿に近づいていくんですね。


ってな訳で次回は関東バス特集のフィナーレ、今の「関東バス」の姿に迫ります。