第82回 幻の井の頭線計画?小田急電鉄と井の頭線の接続線の謎を追う!(1)
















幻の井の頭線を追う

ということで、2013年の関東地方もいよいよ梅雨入りして涼暑が入り混じる天気&気温が続いております。さてBlog de 吉祥寺の超優良2大コンテンツといえば、吉祥寺駅再開発特集井の頭線の延長計画を追え、特集なんです。今回気になったのは後者の方。

以前、吉祥寺駅から西武池袋線のひばりが丘駅までの幻の延伸計画を追いました。西武鉄道と京王電鉄の壮絶な戦いの上、両社引き分けに至った昭和30年代の出来事ですね。結果として武蔵境から是政まで伸びている西武鉄道の是政線は他の西武路線とつながっていない不思議な電車になっているんです。そして現在、井の頭線の方も京王電鉄にありながら、京王電鉄とも直接線路のつながっていない電車であることは皆さんご存じのことと思います。

しかし、その昔、下北沢駅付近で小田急線と接続する幻の線路があったことは、知られつつも、あまりご存じない方も多いんではないでしょうか。今回の特集ではこの井の頭線と小田急線の幻の接続線路を特集します。

<Blog de 吉祥寺>
■番外編!吉祥寺にあったらおもしろかった!幻の○○編
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■副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る! http://www.kichijoji-city.com/search/label/%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA

■写真出典:京王電鉄 鉄道事業概要
http://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/outline_of_route/







ということで

そもそも井の頭線と小田急線とどんな関わりあったのか、といえば皆さんご存知の通り、両路線はともに鬼怒川水力電気という電力会社社長利光鶴松さんという同じ方が経営を担っていた、という話も以前しましたね。井の頭線が開通したのが1933年~1934年にかけて。当時の水道道路を超える盛り土と架橋に手間取りつつ吉祥寺と井の頭公園駅間が最終的に開通したのが1934年4月。当時は井の頭線ではなく帝都電鉄と呼ばれていたんですね。

















 
■2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う
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  ■写真出典: 利光鶴松と小田急電車
  http://ktymtskz.my.coocan.jp/nakagawa/odakyu2.htm




■帝都電鉄って何?

帝都とは、なんだかイカツイ名前ですが、1938年の時代背景を見ると

 3月 満州国が建国宣言
 5月 五・一五事件で、犬養毅首相が殺害される
 8月 ドイツ総選挙でナチス党が圧勝


という様にまさに日本が「帝国」していた時代ですね。

1905年に終戦した日露戦争から20数年。大国ロシアに勝利して世界の一流国に仲間入りを果たした、という自負もあるんでしょうか。ちなみに最後まで架橋に手間取った「水道道路」、これは現在の井の頭通り。もともと境浄水場から和田堀給水所への上水道本管の敷地だったところに1924年に作られた道路。これを「井の頭街道」と最初にネーミングしたのが第二次世界大戦当時に当時総理大臣であった近衛文麿さん。このあたりは以前、数々の戦前政治の舞台となった近衛文麿さんの荻窪の私邸訪問で特集しました。


















そして1932年10月1日東京市35区という人口500万人、世界第2位の都市が成立。その規模と時代背景から「帝都」という名前がふさわしい時代だったんでしょう。実に大政奉還後、東京都の原型たる「江戸府が置かれてから30余年のこと。ちなみに東京都民の方ならなじみ深い10月1日の都民の日はこの市制の日が由来です。都政の日ではないんですね。ちなみにこの市制前、渋谷は「豊多摩郡渋谷町」、練馬は「北豊島郡練馬町」などという「郡」「町」という名前。まさに現在の東京山間部の西多摩郡を彷彿としますが、渋谷も練馬もまだまだ雑木林が生い茂る郊外=「郡部だった訳ですね。

























■創早期の帝都電鉄

この帝都電鉄、それ以前は原野を切り開いて線路を敷き詰めるパターンが多い中では、郡部といえど既に切り拓かれつつあったエリアを用地買収しつつ高架・掘割を中心にして建設された、まさに現在の鉄道開発に近いプロセスを経て開業に至った路線だったんです。当時の文献によれば用地買収は社員総出であったとか。確かに井の頭線に乗ってみると京王線や中央線と違って、ガケを切り開いて走る様な景色が多い訳です。



■余談:ゲージの話

、よく話になるのが、なんで京王電鉄のゲージ(線路の幅)1372mmで井の頭線の1067mmと違うの?という話。ただこれは上記のとおり。井の頭線のルーツは小田急にあり、小田急とは同じゲージ=1067mmってことなんですね。また1372mmの場合、幅が広い分だけ横方向に車両は安定しますが、カーブが少し大変になるので、できるだけ直線で線路を作りたい、という話になるんですね。用地買収をしながら開発した井の頭線、できるだけ土地買収を円滑にすすめるため、線路を曲げてつくりやすい1067mmは適していたって背景もあるんでしょうか。

ちなみに京王電鉄の1372mmのルーツはどこにあるか、といえば馬車。市街を闊歩していた馬車の車輪幅としてオーソドックスであった1372mmは、その後に都電、東急世田谷線、地方市電の道路を走る路面電車に引き継がれていきます。京王電鉄はもともと甲州街道を走る路面電車からスタートした電車。そもそも専用線路が敷かれて開発・開業した小田急線や中央線とは成り立ちが異なっていることがわかるんですね。




















という訳で

その後に第二次世界大戦間近の1938年に陸上交通事業調整法が施行、その法律をうけて1942年5月に東京横浜電鉄(現在の東横線)京浜電気鉄道(現在の京浜急行)小田急電鉄を合併して東京急行電鉄が誕生、井の頭線は小田急と一緒に東急の一員になっていきます。これが井の頭線と小田急線の馴れ初めとその後の経緯って訳ですが、肝心の話はというと、まだ当時1942年の当時は井の頭線と小田急線の線路はつながっていませんでした。

その後、なぜ両社の線路はつながることになったのか、またなぜ現在はなぜつながっていないのか。次回に詳しくみていきましょう。


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