第69回 吉祥寺のガンジス?街を育んだ母なる流れの謎に迫る!!(6)


















四谷大木戸


玉川上水は羽村から三鷹駅の真下、吉祥寺・井の頭公園の南側を通り、最終的に行き着いたのが四谷大木戸という場所。現在の四谷4丁目交差点付近ですね。


しかしなぜ「四ツ谷」なんでしょうか。



■写真出典:玉川上水今昔

http://www.geocities.jp/annaka29jp/jyosuikoujyaku/31yotuyaookidoato.htm




■武蔵野台地の尾根筋の


皆さんは中央線四ツ谷駅に行かれたことはありますが、両側が崖になった切通しの様、いわば小さな谷の様な場所にあります。実は四ツ谷はその名の通り「谷」に囲まれたエリアなんですね。確かに北側には「市ヶ谷」、南側には「千駄ヶ谷」、四谷付近から南西に流れていくのは渋谷川で、これも「谷」ですね。


つまり遥か武蔵野台地の尾根筋の東端、という訳です。






























■上水の我田引水


とはいえ、これでは何故四ツ谷が終点か、の理由になっていませんね。


これは地理上というより地政学上の理由からなんです(諸説あり)。ちなみに終着点となった四ツ谷の周囲をグルリと見回しますと大きな施設が目立ちます。たとえば隣の市ヶ谷には防衛省の広大な敷地がありますし、紀尾井町に目を移せば先ごろ閉鎖しましたがグランドプリンスホテル赤坂ホテルオークラ、少し先の虎の門にはホテルオークラ東京本館があったりします。これらは無論、江戸時代からあった訳ではなく、別の敷地跡を後年に官庁やホテルとして開発したものなんです。



ちなみに江戸時代に何があったかと言えば、


 ・防衛省(新宿区市谷) → 尾張藩徳川家上屋敷
 ・グランドプリンスホテル赤坂(紀尾井町) → 紀州藩徳川家上屋敷


という具合。玉川上水終着の四谷周辺には徳川家の上屋敷(格が高い)があったんですね。このあたりで「何故、四ツ谷か?」の理由が少し見えてきました。


■資料出典:GoogleMap





■神田上水の終点には


ちなみに井の頭池に端を発する神田上水の終着である小石川にあったのは「水戸藩徳川家上屋敷」。水戸徳川家は参勤交代を免除され多くの武士達と共に江戸に常駐していましたから、早々と飲み水が必要になったってのも何となくうなずける話。


そして、この水戸藩の屋敷跡が開発されてできたのが現在の「東京ドームシティ」なんですね。あと一つ触れていなかったのが虎の門のホテルオークラ東京本館。ここにかつてあったのは玉川上水を開削の総責任者、老中川越藩松平家の上屋敷って訳です。ここでもまた出てきました。




■民間工事で煙に巻く?


諸説はありますが、かなり政治的な工事だったという一面もありそうです、玉川上水は。仮にそうであれば、どこかの大名普請(大名による直轄工事)ではイロイロ角が立つ訳で、民間請負工事にした方がいろいろ便利そうだった訳ですね。


ちなみに上水管理を任されていた民間の玉川家は、諸々のホトボリの冷めた1700年代に入り上水管理料をめぐるトラブルを理由に上水管理役から外され、以降は幕府奉行所による公的管理に落ち着きます。




■桜が咲く上水路も
































■画像出典:富士三十六景 武蔵小金井(安藤広重) 小平市下水道館収蔵


キナ臭い話を覆うかの様に、玉川上水の沿道にはたくさんの桜が植えられました。現在の小金井公園付近の五日市街道の桜はキレイですね。京王線にも「桜上水」なんて駅名が残っています。多くの花見客が玉川上水堤での散歩を楽しんだとか。


実はこれも上水堤の決壊を防ぐため、見物客に散歩がてら堤を踏み固めてもらおうってな一策という話。玉川上水、調べてみるとイロイロありますね。


出典:玉川上水の歴史と現状(東京都)