第2回 50年前、吉祥寺の真ん中にあった「音体」とは?
音体
ということで、今回もまたこの謎めいたキーワード“音体”。吉祥寺とどの様な関係があるんでしょうか。昭和30年代に吉祥寺にお住まいの方であれば「あー、あれね」と思い出されるかもしれません。
■写真出典:武蔵野市市議会報
さて、まず、この吉祥寺のある武蔵野市には全部で35校の学校(大学・短大・高校・小中学校)があります。そのうち大学は全部で5校。
・亜細亜大学
・成蹊大学
・日本獣医生命科学大学
・日本赤十字看護大学
・武蔵野美術大学 通信教育部
■武蔵野地域自由大学(武蔵野市)
http://www.city.musashino.lg.jp/cms/guide/00/00/05/00000560.html
(自由大学には武蔵野美術大学に代わり東京女子大学が入っています)
ちなみに、武蔵野大学(元武蔵野女子大)は西東京市、東京女子大学は杉並区、武蔵野美術大学の本校は小平市にあります。
さて冒頭の“音体”、これは実は「東京女子体操音楽学校」の通称だったんですね。実はこの学校、吉祥寺南口の駅近く、コピス吉祥寺の界隈にありました。今では多くの買い物客が行きかう吉祥寺の街の中心地ですが、当時の姿をちょっと想像できません。ちなみに、この学校、どんな学校だったかと言いますと、、。
建学の精神にも「心身ともに健康で、質素で誠実、礼儀正しい女子体育指導者の育成」とあります。時は明治35年。西暦では1902年、丁度、日本とイギリスの間の日英同盟が締結され、3年後に開戦する日露戦争に向けて国内外の緊張が少しずつ高まっていた時代です。そういった背景もあり高等教育、専門教育の必要性が高まるなか、この“音体”も設立されたんですね。
ちなみに、この1902年に設立されたもう一つの大学が早稲田大学です。
■藤村トヨによる私立東京女子体操音楽学校の再興
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007026242
■写真出典:wikipedia(日露戦争)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
■藤村トヨに関する研究
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007026234
この音体、戦後昭和36年に東京都国立市富士見台に移転、通称「東女体」、正式名称「東京女子体育大学」となり、現在では体操系を中心に多くの有力選手を送り出しています。そして、この学校を運営しているのが、先の藤村トヨさんが設立した学校法人藤村学園。実はこの東京女子体育大学の姉妹校が、吉祥寺本町にあり、生徒の皆さんが元気よくランニングしている姿をよく見かける「藤村女子中学校・高等学校」です。
■東京女子体育大学 沿革(上記建学の精神の出典)
http://www.twcpe.ac.jp/college/history.html
■全体参照:武蔵野百年史こぼればなし,平成19年,武蔵野市企画政策室広報課
吉祥寺のど真ん中の校舎、本館と13棟の校舎が林立していました。そんな中で、周囲は市街化が進み拡張のままならず、今後、4年生大学移行に向けて敷地が明らかに手狭になってきた音体。土地の所有者である、吉祥寺の大家さんこと月窓寺と光専寺さん。吉祥寺のさらなる発展に向けた区画整理を行う上で、この土地は絶対必要、と考えていた武蔵野市。
■昭和30年代の吉祥寺駅周辺地図(国土地理院)
音体の敷地内にあった藤村トヨさんの資産をめぐり微妙なすれ違いが起きたものの、武蔵野市が約2020坪の土地の借地権を3億円余で買い取ることで合意します。
コピス吉祥寺につながる礎が築かれた歴史の一端です。