第1回 Blog de 吉祥寺第一回!吉祥寺の大動脈「伊奈道」の歴史を追う























記念すべき第一回!



でもないですが、Blog de 吉祥寺 第1回。これから全100回限定シリーズで吉祥寺・武蔵野市とその周辺や鉄道・道路などの歴史や逸話を追っていこうと思います。100回まで2年で終了予定ですがどうぞよろしくお願いいたします。

初回は、吉祥寺にとって重要な東京都道7号杉並あきる野線特集です。




ところで、この東京都道7号杉並あきる野線ってなんでしょう。これは吉祥寺のある武蔵野市を東西に横断する五日市街道の都道名です。全長57km、東京とが認定している都道の中では最長距離となります。武蔵野八幡宮の交差点を頭に、休日は吉祥寺を目指す車、吉祥寺から帰る車で大渋滞!になります。

この五日市街道、その歴史は古く、史実上は鎌倉時代まで遡ります。



■都道府県道(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E9%81%93




















その昔、五日市街道は「伊奈道」と呼ばれていました。


伊奈って長野県の?という方もいるかもしれません。そもそも、伊奈とは、東京の西部、昔の「伊名村」「増戸村」、1995年に五日市町と秋川市が合併して誕生した「あきる野市」にあった村です。実は、先ほどの長野県伊那の地名と少し関係があります。信州伊那谷の石工集団が伊奈村の加工しやすい石資源に目をつけて移住開村したのが、そもそもの伊奈村の始まりです。


■出典:岩走神社
http://www.ab.auone-net.jp/~inaishi/rekishi.htm


ですので、昭和戦前まで石材運搬のトロッコ線がJR五日市線の終点「武蔵五日市駅」あたりから伸び、その後は、今は幻の路線として廃線好きの間でも有名な石灰輸送線もありました。

■出典:五日市鉄道廃線跡「武蔵五日市-武蔵岩井」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~capsulepla/rail/musashi/index3.html
























さて、伊奈村の歴史と五日市街道がなんで関係あるんでしょうか。


時は江戸時代、江戸幕府が江戸城を修復用に用いたのが、その伊奈石。伊奈石と石工たちが江戸と伊奈村(五日市)を輸送・往還した道こそがが伊奈道、今の五日市街道の原点になったって訳です。もともと甲州街道や青梅街道とちがって坂と橋が少ないのが五日市街道の特徴。重量物を運ぶには便利だった訳です。





























写真出典:教育錦絵(文部省 明治6年)



その後、江戸の街も拓かれた当時の15万人程度の人口から、1700年代には100万人を超える世界一の大都市となり、燃料需要が逼迫したんです。その時に、五日市街道は五日市や桧原村の木炭を輸送する「エネルギーの道」になりました。ちなみに、五日市街道と呼ばれるようになったのは明治以降のことです。


というわけで、武蔵野八幡宮の前を、300~400年前に石工の職人さんたちや、木炭輸送の荷車が行きかっていたと考えると、なんだか不思議ですね。




街の歴史を考えると、ふとこのような史実に出あって不思議な気持ちになることがあります。この感覚を大切にしながら皆さんにもお持ちいただけるよう、第150回まで続いてまいりますので、どうぞ宜しくお願いします!



出典 武蔵野 237号