第14回 コピス吉祥寺いよいよオープン!で、吉祥寺にいつ電灯がついたかと言うと・・



















コピス吉祥寺
ということで、いよいよオープンのコピス吉祥寺。ここのところ夜遅くまで電灯を煌々と照らして工事・準備作業が進められていました。そこで今回はこのコピス吉祥寺を特集!!・・・・という訳ではなく、そこはBlog de 吉祥寺ならでは脱線劇が始まります。今回スポットをあてたいのは、この「煌々と」した電灯の方の話なんですね。




さて皆さん、吉祥寺に最初に電灯がついたのは、何時だかご存知でしょうか。答えは今から約100年ほど前の1916年(大正5年)のこと。1916年といえば世界は第一次大戦の真っ只中。歴史的にはアインシュタインが相対性理論を発表した重要な年でもあります。





■資料:京王電鉄による吉祥寺界隈での電柱設置願い(国立公文書館所蔵)

ちなみに東京市内に電灯が最初についたのが1887年のことですから、それから実に30年後のことです。今でいう30年前といえば1980年頃のこと、寺尾聡の「ルビーの指輪」がはヒットしていた時代ですから、相当時間が空いたってことですね。
















最初の電灯は五日市街道と吉祥寺駅の間に設置されたんですが、この電気を供給したのは、東京電力ではなく、当時の京王電気軌道株式会社、現在の京王電鉄だったんです。


■京王電気軌道
http://plaza.rakuten.co.jp/sj2006/diary/200611220001/



京王電鉄の歴史を簡単に振り返りますと、もともと京王電鉄は「日本電気鉄道株式会社」という名前で明治時代に設立され、1906年に「武蔵電気鉄道株式会社」、さらに1910年に「京王電気軌道株式会社」と改称して「京王」の名称となったですが(ちなみに京王とは、東“京”~八“王”子の両地名から一字ずつとったんです)、その頃は「鉄道」とは名ばかり、認可が下りておらず鉄道は走らせていなかったんです。

ちなみに設立当初の「日本電気鉄道」の計画は「東京府豊多摩郡下渋谷村を起点とし、神奈川県松田村、静岡県静岡市、愛知県名古屋市、三重県亀山町を経て大阪府東成郡野田村にいたる」というもの。実現していたら大変なことになっていました。

■鉄道時報
http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/denki/



では鉄道を走らせていない当時の京王は何をやっていたかといえば1911年(明治44年)に関係官庁より許可が出た電気供給事業=配電=電気を送る事業。ずいぶんとスケールダウンした様ですが、実は、多摩地区を中心に多くの町や村に電気を供給している、いわば多摩地区の「電気の祖」ともいえる重要な事業でした。




■資料:京王電鉄による電気販売案内パンフレット(国立公文書館所蔵)



<京王電気軌道による配電開始時期・供給先>

 1912年(明治45年)8月 調布町・多磨村・府中町・西府村
 1914年(大正3年)10月 国分寺村
 1915年(大正4年) 8月 谷保村・立川村
 1915年(大正4年)10月 小平村・田無村
 1915年(大正4年)11月 保谷村
 1916年(大正5年) 1月 拝島村・武蔵野村★
 1916年(大正5年) 2月 中神村他七カ村連合
 1916年(大正5年) 7月 神代村・和田堀内村・千歳村・高井戸村・松原村
 1917年(大正6年) 3月 三鷹村
 1917年(大正6年) 8月 砧村
 1919年(大正8年) 4月 稲城村
 1923年(大正12年)3月 狛江村


ということで、今でこそ東京電力が供給している吉祥寺の電気、今から約100年前は京王電鉄が供給していたと考えるとなんだか不思議ですね。













ちなみにこの配電事業、第二次世界大戦頃までは、鉄道事業と並ぶ京王電鉄の二枚看板として展開されていたのです。しかし、戦後、この配電事業が鉄道事業と切り離されてしまい京王の経営基盤が一気に脆弱となってしまいます。



その起死回生の一策で実現したのが実は京王電鉄と井の頭線(当時の帝都電鉄)の合併。ともあれ、これはまた別の機会に特集します。



■出典:こども武蔵野市史/wikipedia(京王電鉄)

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