第12回 吉祥寺村は韮山県から神奈川県へ!明治初期の激動の歴史を探る




















韮山県 吉祥寺村

ということで、また意味不明なキーワードから始まりました今回のBlog de 吉祥寺。そもそも韮山県ってのはなんなんでしょうか!と言う方もいそうですが、これは文字通り都道府県の名前。

1868年~1871年まで実在した県なんですね。開村から約200年。吉祥寺村は江戸時代から明治にかけて激動の時代をたどることになります。それは一体どのようなものだったんでしょうか。




さて、時は江戸時代。現在の伊豆地方にあったのが「韮山代官所」たるお役所。その目的は「幕府直轄領の支配」。伊豆(現在の伊豆の国市)を中心に、静岡、神奈川、東京、山梨の多くの領域を管轄していたんです。

■写真出典:韮山代官所
http://www.hb.pei.jp/shiro/izu/nirayama-daikansho/

当然、札野のあった吉祥寺村も、幕府領3町45村として扱われ、1868年(慶應4年)に韮山県吉祥寺村となります。慶應4年といえば明治維新、王政復古の大号令の後、11月に明治天皇が江戸城に入り東京城となった年でもあります。

皆さんよくご存知の「廃藩置県」は1971年、その3年前に成立したのが1868年の「府藩県三治制」。藩を残しながら府と県を設置する、という少し中途半端な制度だったんですね。そのときに設置されたのが「韮山県」だったわけです。

















そしてその後に、1868年11月、吉祥寺村は、三鷹市域、調布市域の村々とともに県から府へ、つまり韮山県から東京府に移管されて「東京府多摩群吉祥寺村」となります。
それもつかのま、1871年。左の通り「廃藩置県」が行われると、吉祥寺村はお隣の西窪村・関前村・境村や、現在の調布市域や世田谷区域などと共に、今度は「神奈川県」に移管されて「神奈川県多摩郡吉祥寺村」となります。

■写真出典:廃藩置県の詔
http://www.financial-j.net/blog/2008/08/000618.html





■資料:井の頭公園開園前の敷地を神奈川県が買い戻した際の資料(国立公文書館所蔵)


またまたコトが起きたのが1878年。このときに施行されたのが「郡区町村編制法」という法律。これによって多摩郡が東西南北の4つに分割され、吉祥寺村を含む1町131村が北多摩郡になり、「神奈川県北多摩郡吉祥寺村」となってしまいます。















最終的に吉祥寺村が神奈川県から東京府に戻り「東京府北多摩郡吉祥寺村」となったのは1893年。1971年に神奈川県に移管されてから22年の歳月がたっていました。


■写真出典:北多摩郡
http://edo-ram.hp.infoseek.co.jp/teito/CoC_teito_map.html

ということで、吉祥寺村の激動の歴史を振り返りますと

1661年 吉祥寺門前の住人が札野(現:八幡宮周辺)に移住
1664年 武蔵国幕府領 吉祥寺村 開村(検地)
1868年 韮山県 吉祥寺村
1868年 東京府多摩郡 吉祥寺村
1872年 神奈川県多摩郡 吉祥寺村
1878年 神奈川県北多摩郡 吉祥寺村 
1878年 東京府北多摩郡 吉祥寺村 


という具合ですね。

吉祥寺が神奈川県だった時代があるとは、今からするとちょっと驚きです。ちなみに、東西南北のうち東多摩郡はその後に豊島郡と合併して、その名も「豊多摩郡」となるのですが、残った南・西・北の3つの多摩郡が後に「三多摩」と呼ばれる源流になっていきます。

■豊多摩郡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%9A%E6%91%A9%E9%83%A1