第18回 中央線高架化!計画開始から78年、吉祥寺に起こった大騒動とは何か?

















中央線複々線化&高架化

ということで11月7日にJR中央線の西国分寺駅 - 立川駅間の上り線が高架化して、1995年から約15年事業費1710億円の複々線化工事は節目を迎えた訳です。

中央線に乗っていると随分と眺めが良くなりました。また周辺道路の踏み切り渋滞の大幅な緩和も期待されるところです。今後は仮線路の撤去、跡地整備を進めて最終的な工事終了は2013年予定となっています。

■出典:JR東日本ホームページ
  http://www.jreast.co.jp/construction/elevate/index.html


ということで今回も脱線、そもそも、この中央線複々線&高架化が行われた理由について、今回は少し探ってみることにしましょう。その歴史を紐解くと実は吉祥寺を揺るがす大事件に繋がるんですね。




と前にまず、この歴史を振り返ってみましょう。

<中央線複々線&高架化の歴史>














1932年 御茶ノ水駅-中野駅で複々線化
1957年 東京-御茶ノ水駅間、中野駅-三鷹駅間の複々線化決定
1960年 営団から東西線との直通運転の提案
              (東京-御茶ノ水間はこれで代替)
1966年 中野駅-荻窪駅間の複々線化が完成
1969年 荻窪駅-三鷹駅間の複々線化が完成
        (吉祥寺駅も高架化)
1995年 三鷹駅-立川駅間の高架化工事着工
2007年 三鷹駅-国分寺駅の下り線が高架化
2009年 三鷹駅-国分寺駅の上り線が高架化
         西国分寺駅-立川駅間の下り線が高架化
2010年 西国分寺駅-立川駅間の上り線が高架化 ★


■出典:wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%B7%9A%E5%BF%AB%E9%80%9F



ということで、

よくニュースで言われている通り1995年の着工から紐解けば15年間ですが、最初の複々線化から遡れば実に78年もの年月が経過している訳です。

さらに複々線化と高架化を分けて考えてみますと、高架化は都市化が進み、交通量が増大する中央線沿線道路の踏み切りを無くす、という目的で、今回東京駅~立川駅間のすべての踏み切りは廃止され目標は達成されたわけですね。

一方、複々線化について、当初の目的はと言いますと、

 目的1:立川駅以西(八王子方面)からのスピードUP!
 目的2:奥多摩観光開発の促進



という点にあったんです。












目的1は、たしかに中央線は“快速”ですから(※“中央急行線”というのが正式名称です)、郊外のベッドタウン開発が進み、並走する京王電鉄に遅れはとるまい、という考え方もあったのかもしれませんね。


目的2は今では少しピンとしませんが、昔は多摩地区は観光やハイキングのメッカ、その目玉として奥多摩観光の開発が掲げられても不思議ではありません。

■奥多摩観光
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%A4%9A%E6%91%A9



さて、時は1966年(昭和41年)の夏、高度成長期の時代です。この中央線複々線化工事の概要が、少しずつ明らかになり始めた頃、武蔵野市から国鉄(現在のJR)に1本の意見書が提出されました。

その名も“中央線三鷹駅の駅名変更に関する意見書”。

これを皮切りに、様々な出来事が勃発して、武蔵野市、吉祥寺の企業・学校の諸団体と国鉄の間での争いが激化するとは、誰も想像していなかったかもしれません。果たして何が起こったんでしょうか。次回に続きますねー。

■出典:武蔵野市議会報