第19回 中央線高架化!計画開始から78年、吉祥寺に起こった大騒動とは何か? (2)























急行

ということで、今回のBlog de 吉祥寺は前回からの引き続き「中央線複々線化&高架化」について迫っていきます。

■写真出典:Google Maps

それで「急行」って何?という話から入りますと、文字通り「急行列車」の急行なわけで、今の中央線快速が運行を始めた1933年(昭和8年)の頃は今の「快速」ではなく「急行」と呼ばれていたんですね。かつ運行は平日限定だったとか。

■出典:wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%B7%9A%E5%BF%AB%E9%80%9




それで

前回の続きです。急行(現在の快速)の運行開始から遅れること34年、梅雨の只中の7月3日に運行開始となったのが特別快速なんです(ちなみに2010年の34年前といえば1976年。ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたり、不倒の長寿番組、「徹子の部屋」が放映開始となった年ですね。相当時間がたったってことです)。











多摩西部の宅地化が進み、立川以西の市町村から「特別快速つくってくれー」と国鉄に陳情があり設定されたのが、この特別快速です。現在は「中央特快」「青梅特快」になってます。


■写真出典:パルテノン多摩(UR寄贈)
http://www.parthenon.or.jp/teitensatuei/gallery/archives/170.html


さて

現在の運行は「特別快速=吉祥寺駅を通過」「快速=吉祥寺駅を停車」となっていますが、昭和40年代初めに中央線の複々線化&高架化の計画が進められた時に持ち上がったのが

中央線快速は吉祥寺駅を通過させる

という話だったんですね。要は快速は中野駅~三鷹駅まで通過!という話です。















特別快速は元々止まらないことが決まっており、この停車に向けて活動していたのが「特別快速電車対策特別委員会」という市議会の委員会。昭和42年6月に、市議会決議、国会議員を通じて国鉄へガンガン働きかけていたのですが、国鉄は厳として首を縦に振らないわけです。


そんな中で突然持ち上がったのが「複々線化&高架化したら、快速も吉祥寺駅を通過させちゃうよー」というもの。


寝耳に水のこの話に「ふざけんじゃねー、吉祥寺駅の利用客は27万人もいるんだぞ」と怒った市議会やら市民は、昭和42年に「快速・特快吉祥寺駅停車期成同盟」なる「同盟」を結成、吉祥寺付近の企業・学校・商業関係者の合計168諸団体の長の署名を当時の運輸大臣と国鉄総裁宛に提出したり、駅で10万枚のチラシを配布したり、決起集会を開いたりしたんです。

その努力が実り、昭和43年の歳の瀬迫る12月26日、市議会に「快速はそのまま吉祥寺を停車することが決まった!」との連絡が入り、その足で12月28日、武蔵野市長と国鉄の間で「快速は止める」との覚書が交わされたんですね。





■昭和40年頃の吉祥寺駅周辺航空写真(Goo地図)

その後も、特別快速電車対策特別委員会は活動を続け、5年後の昭和48年頃は「土日祝日だけでも特別快速を止めろよー!」という条件闘争に。












しかし、立川以西の市町村からの反対の上、武蔵境の桜堤団地(現サンヴァリエ)住民からの反対要望書が提出されるなどして調整がつかず、「昭和50年以降に諸状況をみながら引き続き検討とさせてほしい(≒ま、様子みようや)」という国鉄からの玉虫色の申し入れの後、矛先は収まったわけです。


たしかに、今、吉祥寺駅の利用客は何気なく、オレンジ色の中央線快速電車を利用していますが、これが総武線しか止まらない駅だったら、今の吉祥寺は無かったかもしれませんね。何せ、東京方面から来るのであれば、中野で総武線に乗り換えて、来る必要がありますから。

関係自治体や利用客の色々な想いはあると思いますが、まずは吉祥寺駅の利用客からすれば、先人の尽力に感謝ということで。

ということで

特集してきた中央線の複々線化&高架化のドラマ、その後の吉祥寺に何をもたらしたのでしょうか。次回に続きます。