第26回 武蔵野市が合併へ!?吉祥寺をめぐる最大のタブーを追う!(5)





















昭和30年2月1日

昭和30年といえば1955年。1955年といえば11月に自由民主党(自民党)が結成された年ですね。1990年代まで続いた「55年体制」という、戦後日本の政治体制の基盤が出来上がった年なんですね。

■写真出典:読売新聞(資料写真)





その年の2月、吉祥寺や武蔵野市にとっても、市制上最もエポックメイキングだった三鷹市との合併案の、三鷹市議会における1票差での否決。全国初の市と市の合併協議であっただけに注目度も高く、関係者の落胆はひとしおだったでしょうね。

この歴史的な日の後、三鷹市長は辞職三鷹市議会議長は辞任(慰留)となり、三鷹市制は大混乱に陥ることになるんです。その混乱も冷めやらぬ2月4日、武蔵野市から三鷹市に対して「再度、合併検討してくださいよ」という要請を出します。そしてその要請に応えるように翌月3月5日に三鷹市議会で再議決となったんですね。


市長不在のため議員提案となったこの議決の結果は、

記名投票 賛成 16 反対 18

と2票差で否決となり、ここに武蔵野市・三鷹市の合併話は終結を迎えるわけです。

3月7日

否決の2日後、三鷹市市長代理(助役)三鷹市議会議長が、武蔵野市役所を訪問しまして「合併は難しい・・」と申し入れ、ここに合併問題が決着したんですね。

明治の大合併(71314 → 15859市町村へ)
昭和の大合併(9868 → 3472市町村へ)


と、明治以降の日本の自治体区分は過去3回大きな見直しの時期があったんですが、この話は、昭和の大合併の頃のお話。先頃まで続いていた平成の大合併を経て、日本の市町村数は1727(平成22年3月時点)まで減っちゃいました。















感覚としては、江戸末期までは集落単位での自治であったのに対して、明治の大合併で、小学校の学区域単位を最低レベルにして市町村がまとまり、昭和の大合併で、中学校の学区域を最低レベルにして統廃合が進んだ、と考えれば良いでしょうね。


東京都下でも、この時期に府中市、町田市(当時は町田町)、昭島市などが合併で誕生。1960年代に入り、立川市に北多摩郡砂川町、八王子市に南多摩郡由木村が吸収合併したりしたんですね。



昭和33年

お盆前の8月13日に、新しい三鷹市長が、武蔵野市を訪問し、再度正式な合併の申し入れがあったんですね。昭和30年に地方議会があり、両市とも新しい議会となり、再度合併を検討したい、との申し入れに「大丈夫かよ」と疑心暗鬼になったのは、逆に武蔵野市の方。結婚を一度破談にされたという思いもあったんでしょう。

既に両者の熱が冷めていたのか、このときは昭和30年ほどに大きな動きにならずに収束していまいます。


ということで











現在も三鷹市と武蔵野市はお隣さんで、武蔵野市は吉祥寺を中心とした多摩地区随一の文化都市に、三鷹市はITや映像といった情報先進都市といった色彩を強めつつ、それぞれの方向に発展しているのは皆さんご承知の通りですね。

合併の一番のメリットは「行財政の効率化」といわれていますが、その一方で画一的な行政の下で地域の多様性が失われかねない、というデメリットもあります。無論、そうならないよう関係者の皆さんのご尽力は伺い知るところではありますが、やはりそれでも限界はあるんですね。

さてさて

今回の特集いかがだったでしょうか。取り上げたのは今から50年以上前に論争となった合併問題。歴史にIFはありませんが、もし合併していたら、両市のその後はどうなっていたんでしょう。

それではまた来年もどうぞ宜しくお願いいたします。