第22回 武蔵野市が合併へ!?吉祥寺をめぐる最大のタブーを追う!(1)




























吉祥寺最大の歴史絵巻


にいよいよ突入していきます、このBlog de 吉祥寺。年末慌ただしい時が続きますが、みなさん如何お過ごしでしょうか。Blog de 吉祥寺も30回記念を機に少し休養を頂きまして、この最大のテーマから復活です。


さて、吉祥寺を巡る歴史絵巻のネタは事欠かないのですが、この吉祥寺の街そのものが大きく変わったかもしれない、という史実に迫っていきます。時は今から今から60年近く前の昭和28年に遡ります。





町村合併促進法

という法律が発効されたのが昭和28年11月のこと。その内容といいますと、


・人口8000人未満の町村を合併再編しましょう
・そして行政能率の向上、住民福祉の増大を図ろう


というもの。






■昭和38年吉祥寺駅周辺地図 Goo地図

はるか昔の江戸時代の新田開発や街道筋の集落区分を元に構成されていた戦後期の市町村区分。その後、鉄道が引かれ、街道が整備され、経済が発展し、農村が町となり都市となり、人口も急増する中で、江戸時代の区分が実態にそぐわなくなってきていました。



もともと武蔵野市の原型である武蔵野村が誕生したのが明治22年のこと。当時は神奈川県北多摩郡武蔵野村だった訳で、同時期に甲武鉄道(後に国有化され、中央本線)が開通し、青梅街道の裏街道であった五日市街道の宿場街であった明治年代までの武蔵野村とは、経済も交通事情も大きく変わっていたんですね。


町村合併促進法の発効により、早速、東京都(昭和18年に東京府から東京都となる)でも、同法に基づき「町村合併審議会条例」を設置して、委員25名が選任され、具体的な検討が始まったんです。


どのような検討がなされたかといいますと、


◆東京都西多摩郡
  ・福生町を中心とする7村 → 合併して福生町に! 
  ・五日市町を中心とする10町村 → 合併して五日市町に!
  ・氷川町を中心とする2村 → 合併して奥多摩町に!


◆東京都南多摩郡

  ・町田町・南村 → 合併して町田市に!

◆東京都北多摩郡

  ・西府・府中・多摩の3町村 → 合併して府中市に!

で合併や市制が検討された、という具合です。




そんな中で、当時武蔵野市が属する北多摩郡でも、合併話が持ち上がります。吉祥寺のある武蔵野市を巻き込んだ合併話とは一体どのようなものだったんでしょうか。実は、ここに吉祥寺をめぐる壮絶な駆け引きとドラマがありました。

それはまだ戦争の空気の残る昭和28年のことです。ドラマは武蔵野市で始まりました。