第23回 武蔵野市が合併へ!?吉祥寺をめぐる最大のタブーを追う!(2)
町村合併促進法
同法を機に動き出した東京都、そして北多摩郡に属する市町村。まだ戦時の空気が冷めやらぬ昭和20年代後半、いろいろな思惑が動き始めます。
「明治22年の市町村制以降、65年の間で交通は発達、蒸気機関車の変わりに電車が、乗り合い馬車の変わりにバスが、大八車の変わりにトラックが走る。にもかかわらずなぜ市町村の区画だけが昔日の模様をそのまま継承しているのか」
という市議会答弁に代表されるように、武蔵野市では、昭和28年歳末の12月に「行政区割調査特別委員会」が設置され、10名の委員で議論が開始されました。
当時検討されていた主な案というのが、
①武蔵野市+三鷹市+神代町+調布町
②武蔵野市+三鷹市+小金井町+田無町+保谷町
③武蔵野市+保谷町+田無町+小金井町
の3案なんですね。
■写真:2市3町合併論の図(武蔵野市議会報)
③については、東京都23区に近い北多摩郡の市町が合併して、北多摩区(東京24区)になろう、という動きもあったとか。
委員会では、東京都との懇談会や市町村視察を踏まえて、10回に渡る会合を開き、得られた結論は
②武蔵野市+三鷹市+小金井町+田無町+保谷町
面積53平方キロ、人口23万人
(武蔵野市単体: 面積10平方キロ、人口87000人)
という案が「適正規模」という「二市三町合併論」の判断だったんですね。かつ合併時期は、 昭和30年4月の地方議会選挙前が望ましい、という「急いで合併!」との判断。今の議会で合併を既定事実にしたい、との合併推進派の思惑が織り込まれ、事態は急転直下で進んでいきます。
武蔵野市内にも「財政的に潤っている武蔵野市がなぜ合併する必要があるのか」との意見もあり、議論は2つに割れていました。ただし最終的に武蔵野市議会で記名投票で
「18対10」
で可決。武蔵野市は合併に向けた方針を固めることになります。
武蔵野市に設置された「行政区画調査特別委員会」で固まった方針とは、
・面積53平方キロ/人口23万人の行政区とする
・昭和30年4月地方議会改選前に完了すること
というもの。
ということで
合併の方針を固めた武蔵野市ですが、合併は相手が合っての合併。相手が首を縦に振らなければ合併などできようはずがありません。
ここから先、武蔵野市の出方をみながら、相手方である三鷹市、小金井町、田無町、保谷町のそれぞれの思惑が錯綜します。特に焦点になってくるのが三鷹市の面子。市として同格、かつ市制も、武蔵野市(昭和22年)、三鷹市(昭和25年)とほぼ横並び。
その一方で、両市とも抱えているのは人口増加の問題。特に三鷹市は市域全面積の40%が農地という状態(昭和27年)で、まだまだ人口増加が続くことが予想されていました。
いわば双子の兄弟と言うべき武蔵野と三鷹の関係が火を噴いていくことになるんです。