第28回 大字の吉祥寺ってどこよ!?吉祥寺の歴史絵巻(町名改編に向けて!) partⅠ
























武蔵野市欅町(けやきちょう)


いきなり訳のわからないワードから始まりましたBlog de 吉祥寺。さて住所のようですが、武蔵野市にお住まいの方ならお気づきの通り、こんな住所は武蔵野市には存在しません

では、欅(けやき)で思い出すものといえば、、、そうです。現在の吉祥寺北町3丁目にある成蹊大学の敷地を周回するように続く立派なケヤキ並木が有名です。

ということで

実はこの欅町。昭和30年代半ばに進められた「吉祥寺のある武蔵野市の町名地番を変更しよう!という検討の中で、成蹊大学の近くはこの名前(欅町)で行こう!と候補に挙がっていた町名です。




成蹊大学が池袋からこの地に移転してきたのが関東大震災の2年後の1925年(大正14年)のことですから、十分に地名として馴染んでいたんでしょう。

繁生うときく武蔵野も弓はずの見えぬほど茂ったススキ野

と、いきなり和歌が出てきました。更級日記という古典の一歌なんですが、この中で「武蔵野」として取り上げられている地こそが、吉祥寺を含む、武蔵野市一帯と周辺地域なんですね。












歌われている通り、このあたりは一面のススキやカヤの野原、Blog de 吉祥寺を熟読されている皆さんでしたらおわかりの通り、江戸時代は将軍家の鷹狩やカヤ調達が行われた幕府直轄や御用地「札野」と呼ばれていた訳です。















詳しい話は次回に譲るとしまして、現在も武蔵野市の主要地名である「吉祥寺」「西窪(西久保)」「関前」「境(武蔵境)」は、札野であったこの地が開発の「村名」だった訳です。その後、4村は合併して1889年(明治22年)に武蔵野村、1928年(昭和3年)に武蔵野町となりましたが、村名は地名として依然として残ったんですね。


ちなみに吉祥寺で戦後まで使われていたのが、大字吉祥寺(おおあざきちじょうじ=よく田舎でありますよね、こういう住所)、小字(こあざ)で、御殿山、芝野、中道南、野田北、野田南、本田北、本田南という住所体系。芝野ってどこだ?という感じですが、つい60年ほど前までは、この住所で郵便が届いたんですねえ。


ただし郵便屋さんも、東京都武蔵野町大字吉祥寺小字芝野1600とか書かれても、1600軒あるうちのどの家だよ!ということになりかねなかった訳です。今と違ってメールなどなく、至急要件は電話、それ以外は手紙という時代でしたから、手紙の遅配・配達ミスは致命傷になりかねないんですね。

そこで使われていたのが「通称名(通り名)」だったんです。今でも有名な中道通りを初めとして、青葉小路月見小路など、数多くの通名・小路名が吉祥寺の周辺にも残ってますが、これは大字小字時代の苦肉の策、そう通称を使わないと、見知らぬ人がその家にたどりつけない!という時代だったんですね。













ただ、あくまで通称は通称。公(おおやけ)なものでは無いんです。ちなみに昭和20年後半まで武蔵野市で使われていた大字小字の公称が39に対して、通称がなんと108


第二次世界大戦後に都心部の空襲戦災で移住者が増え、市内の人口が激増する中で、これじゃあさすがにまずかろう!=住所を新しくつくろう!、という話になっていったのも無理はありません。

そんな中で議論された1つが、いまや幻の地名となった冒頭の「欅町」だった訳です。


さて

次回はこの「住所をつくろう」という動きを次回は、より深く掘り下げていきましょう。そこにはとんでもない大騒動が待ち受けていたんです。