第31回 大字の吉祥寺ってどこよ!?吉祥寺の歴史絵巻(町名改編に向けて!) 最終編













メリッサ・レオ

今年のアカデミー賞作品賞は事前評判も高く最有力候補であった「英国王のスピーチ」が見事受賞した訳ですが、さてこの「メリッサ・レオ」さんって誰でしょうか。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、作品『ザ・ファイター』で助演女優賞を受賞したベテランの女優さんですね。昨年はサンドラ・ブロック、その前の年はペネロペ・クルスなど、錚々たる俳優が受賞しているこの助演女優賞。実はかつて一人の日本人女性がこの賞に輝いた時がありました。

その女優さんは「ナンシー梅木」さん。

無論、日本人初の受賞だった訳で、昭和33年の出来事です。






この昭和33年という年はエポックな年で、現在の日本でも馴染みのある商品がたくさん産まれたんですね。たとえば

 ・ホンダの二輪車「スーパーカブ」
 ・日清の「チキンラーメン」
 ・アサヒの「缶ビール」

などなど。











■ホンダスーパーカブ
http://www.honda.co.jp/SUPERCUB/history/index.html


そういえば現在、世界一の自立式電波塔記録を更新中のスカイツリーの先輩「東京タワー」が完工したのもこの年でした。

■wikipedia 
  
http://ja.wikipedia.org/wiki/1958%E5%B9%B4

■Academy of Motion Picture Arts and Sciences (冒頭写真も)
   
http://www.oscars.org/




だから何?

ということで、昭和33年はこの吉祥寺にとってもとても大きな年だったんですね。その争点は、ずばり武蔵野市の町名整理。とりあえず前回までの話はさんざん努力をした介もなく、議員の任期切れで検討は打ち切り。ここから新しい展開が幕を開けます。


まず、この昭和33年の選挙で当選した皆さんが立ち上げたのが「町名整理特別地委員会」。のちに「町名整理審議会」となったこの会は、この問題について昭和36年にかけて約11回も討議を繰り広げることになります。



最終報告

ついに昭和36年9月に審議会の最終報告が議会で了承を得て、9月5日に全員協議会が開かれることになります。しかしまたその時も会場には不穏な緊張感が張り詰める事態に。

朝10時の開会すると案の定、「こんな名前はいやだー」「吉祥寺の名前をつけてくれー」「昔の名前に戻してほしい!」と住民側に対して、審議会委員側が「そんなのはノスタルジーだ。すぐに馴れるよ」「将来を考え、孫の代になっても笑われない新しいセンスの町名で簡単な方が良い」と反論、対立が激化していきます。














特に関前地区の住民は「緑町はいやだ」、清住町と命名されかけた吉祥寺北町住民は「吉祥寺北町にしろよー」との声が大きく、住民が議場に多数押しかける事態に。そのまま昼が過ぎ、夜が過ぎ対立は全く解消されずに、22時に「とりあえず今日はおしまい!」と閉会となります。



その結果をうけて開かれた9月18日の協議会も大紛糾。しかしようやく住民側が折れる形になったものの「市長!この様なことが起きたからには市長も全善処してほしい」と住民側が14件の請願陳情を市長に渡す形となった訳です。

これはヤバいと思ったかどうかは知りませんが、市長案が作成されることとなるんです。しかし、その市長案に対しても「吉祥寺本町は“吉祥寺”だけでいいよ」「中町は吉祥寺西町にしてよ」「緑町は納得いかん!由緒ある関前本町にしてくれー」といった声が相次ぐ始末。その様な駆け引きと折衝の結果、ようやく最終的に市長案(12町案)で了承されることになります。

その基本的な考え方は

 ・五日市街道と中央線を分画の基本線
 ・吉祥寺、三鷹、武蔵境の3駅を基点
 ・主要道路で1町を区画
 ・平均5丁目をもって1町
 ・平均30万坪/町


というもの。今の吉祥寺を含む町名区分がなんとなく想像がつきますね。



ということで

昭和30年代前半に大きな政治問題となった、この吉祥寺の町名改編問題、ここでようやく決着がつくことになります。やはり十人十色の住民の意識を1つの方向に集約していくことはとても大変ですね。この改編があって今の吉祥寺はある、という訳なんです。