第32回 【号外】被災者が未来を切り拓いた街、それが吉祥寺!




















被災者が未来を拓いた街

東北・東日本大震災の犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。また被災者の皆様も体力・心労共に御苦労絶えないと思われます。

今、吉祥寺の街からできることを考えてまいります!!。

このたびの未曾有の自然災害を始め、歴史的に大きな災害は数あれど、今回取り上げたいのは吉祥寺村が出来上がる原点といえる明暦の大火

1657年に発生した、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火災なんですね。死者は諸説ありますが3万人とも10万人とも言われています。火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大。かつロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火とも言われているんだとか。

wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB

この大火によって、幕府は江戸城天守閣を失い、その「大奥」では安土桃山時代から続いた垂髪を止め、いつでも逃げやすい様に、一般武家や町人と同様に日本髪を結う様になったという、都市・文化両面から日本に大きな変革をもたらす起点となったんですね。

さて、場所は現在の水道橋(文京区後楽園東部)。





















このあたりは明暦の大火前は「吉祥橋」と呼ばれ、寺院「吉祥寺」の門前橋だった訳ですが、現在の吉祥寺は江戸市中の防火空地の確保のため、水道橋から駒込の現在地に移転しているんですね。


■移転のエピソード(Blog de 吉祥寺より)
http://www.kichijoji-city.com/2010/09/blog-post_13.html


そして、その時の吉祥寺の門前町に住んでいる人たちが、幕府により「武蔵野開発!」という新しいミッションを受けて、五日市街道を西へ西へと進み、「ここで新しい生活を始めよう!」と足を止めた先が武蔵野のススキ野原。

そこで人々は、移住前に慣れ親しんだ「吉祥寺」を冠して「吉祥寺村」として一所懸命に野原を切り拓いていった、というのがそもそもの吉祥寺の起こり、という話は以前しましたねー。


冒頭写真は、旧陸軍参謀本部陸地測量部が作成した明治35年の地図なんです。開村から約200年経過していますが、東京近郊では稀にみる、きれいな短冊形の耕地が広がっています。これこそ被災した吉祥寺の先人たちが切り開いた努力の証といえるでしょう。






















いわば吉祥寺とは「明暦の大火の被災者が未来を切り開いた街」とも言えるでしょう。


その後も関東大震災、そして第二次世界大戦中の東京大空襲で被災した人たちが武蔵野に移り住み、吉祥寺の人口は爆発的に増えていった点は、先日までの「町名改編」で特集を組んだ通りです!。吉祥寺の象徴である「成蹊大学」も、関東大震災の2年後に池袋から吉祥寺に移転してきたんですから。

一見、被災という言葉から縁遠い吉祥寺の街。実は、過去のこういった歴史や先人達の努力を顧みると、まさに吉祥寺のルーツは被災から始まった、と言っても過言ではないでしょう。

吉祥寺からできること、必ずあるはず!と真剣に考えたくなりますね。皆さんも何か考えてみませんか?


<きちカフェ事務局より>

現在、吉祥寺のしゃべり場「きちカフェ」では、市内の飲食店さんの多大なるご協力を得て、今回の東北・関東大震災の被災者のみなさんに「大丈夫だよ」とエールを送る活動を展開中です。

ご興味のある方は、どうぞご一報くださいませ!

<きちカフェ事務局(吉祥寺ワ・ミューズ内)>
http://www.wamuse.com/blog/list/-/9.html

東京都武蔵野市吉祥寺本町2-4-14
吉祥寺第一ホテル3F
Tel 0422-27-7288