第36回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(3)






















「中央線が好きだ」


JR中央線の車内広告を見ていると、東日本大震災余波もあって、JR東日本のPRがガンガン流れる訳なんですが、一際目を引くのが「中央線が、好きだ。」のメッセージ。我らが吉祥寺からは弁天湯が出てますね。

何かと言いますと、駅前交通問題(車の増加)を機に昭和29年に立ち上がった「吉祥寺駅前広場都市計画委員会」。その後は事業化に繋がらずモンモンとしている時にある出来事が決まったんです。それがJR中央線の高架化&複線化だったんですね。


この件は以前、Blog de 吉祥寺でも特集を組みまして、いろいろと反響を頂きました。ぜひ、そちらをご覧下さいませ。




という訳で
















高度成長期を迎えていよいよ車交通量も増加、かつJR中央線の高架化&複々線化が固まり、駅前広場の開発というより「駅周辺をどう再開発するか」的な話に論点は拡大していきます。


そこで

昭和35年に設けられたのが「吉祥寺駅周辺都市計画調査特別委員会」。「駅周辺をどうしようかねー」というのがテーマ。早速、その再開発に糸口として手掛けられたのが「東京女子体育短期大学の敷地」の確保。これが昭和35年の残暑の残る9月の話なんです。

以前東京女子体育短期大学の特集もさせて頂きましたね。今の藤村女子さんとは関係の深い学校なんです。



























そしてこの東京女子体育短期大学の跡地が、昨年オープンした「吉祥寺Coppice(コピス)」になろうことは、当時の方も勿論、誰一人予想していなかった訳です。当たり前ですが。


そして、その基本構想を検討を請け負ったのが、前々回に取り上げました、成蹊学園出身、杉並在住の当時気鋭の東大 高山教授だったって訳です。高山教授は検討に検討を重ねて、中間報告を行ったのが昭和36年6月のこと。

それが市長原案として叩き台となり昭和36年~37年にかけて委員会で計6回の議論がなされます。そして翌年昭和37年1月に「市民の皆さん、これが再開発後の吉祥寺駅周辺です!」として発表されて、武蔵野市民の皆さんに原案としてお披露目されるんです。















市長案の主旨は「道路率を現在の15%から32%に上げて、交通の円滑な処理を目指します!」というもの。しかし、当然、道路面積が増えるということが、もともとあった商業地や宅地が減るということ。当然「立ち退きをお願いします」という人も多く出てくるんです。

また高山教授案は「再開発区域全体を造り変えて『副副都心』として再構築する」というかなりドラスティックなもの。



昭和29年 吉祥寺駅前広場都市計画委員会 設置
昭和30年 吉祥寺駅前広場都市計画調査特別委員会 設置
昭和35年 吉祥寺駅周辺都市計画調査特別委員会 設置
        東京女子体育短期大学の敷地を確保
昭和36年 中間報告
昭和37年 市長案を発表

ざっと年表に纏めるとこんな感じです。

ただただ、この案をめぐって「賛成~!将来のさらなる発展のために!」「おいおい冗談じゃねー。こちとらココに長年住んでる身にもなってくれ~」と反対派が入り乱れて、吉祥寺がまたもや大騒乱に陥ることになるんです。