第35回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(3)





















吉祥寺の社会問題!?


前回の続き「吉祥寺駅周辺開発」について探って参りましょう。前回の最後でお話した「吉祥寺で出てきていた社会問題」って何なんでしょうか。




昭和29年(1954年)

の時代背景を探ってみますと、、。まず安政時代の東海地震発生から100年目ですね・・というのはあまり関係がなく、一番大きいのは高度成長時代が始まる前年(諸説ありますが1955年の神武景気以降が高度成長期と考えた場合)ですねー


1950年代半ばから日本経済は戦後の時代から離陸して大きく成長していくって訳です。日本道路公団名神高速道路が開通、本格的な車社会の幕開けとなります。

丁度、その頃の吉祥寺で問題になっていたのが「車の増加」。それまで“道は歩くところ”“線路は電車”と住み分けられていたところに、車や乗合バスが入ってきたんですね。そして交通事故も急増。特に駅周辺は人の往来も激しく「このまま放置しておくと大変だ」ということで「駅前再開発を!」との声が市議会で上がり始めたんです。

 昭和29年 吉祥寺駅前広場都市計画委員会
 昭和30年 吉祥寺駅前広場都市計画調査特別委員会


という様に、武蔵野市でも委員会を立ち上げて研究を進めた結果、昭和30年に「北口広場の拡張は不可欠」との調査結果報告がなされたんです。
























しかし前回見て頂いた地図(国土地理院 昭和32年)の通り、駅の周りは建物が密集しており「本当に再開発できんのかね」というのが地元商業者さんを初めとする大勢の意見。

結局、その報告は注目されつつも事業レベルまで具体化が図られることなく5年の歳月が過ぎ去ります。

しかし

昭和30年代も半ばに差し掛かり、いよいよ時代は高度成長へ一直線。昭和39年の東京オリンピックをめがけて1962年には首都高速道路が開通するなど、東京都内でも車社会へのインフラがどんどん整っていきます。

そんな中で吉祥寺駅前北口の再開発は「そろそろ本格的に考えなければやばいんじゃない?」という声大きくなり始めたんです。

その時に、そんな空気感を後押しする出来事が起きるんですね。