第34回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(2)





昭和29年(1954年)

ということで前回の続きです。

第二次世界大戦から9年目。経済復興の足音と共に日本の経済政治が少しずつ変わりはじめる頃です。

たとえば震災被災地の東北から上野に向けて集団就職列車が走り始めたのがこの年。また日本民主党が結成された年でもありしま(この後1955年に自由党+民主党=自民党が発足、いわゆる55年体制ですね。)

全然関係無いですが、年齢不詳っぽい日産自動車会長のカルロスゴーンさんが産まれた年でもあります。





さてその頃の吉祥寺は、と言いますと井の頭カーニバルが開かれていたんですね(昭和30年)。また別途特集しますが、ミス井の頭コンテストやら花火大会が吉祥寺の街中や井の頭公園で開かれたりしていました。ミス井の頭さんは吉祥寺の街中をオープンカーで練り歩いていたりしました。

■出典:武蔵野市報 昭和30年8月 第154号


さて、その頃の吉祥寺ってどんな街だったのでしょうか。























■出典:国土地理院(昭和32年)



吉祥寺駅の北口一帯昭和30年代初頭の地図なのですが、月窓寺や光専寺などの今あるお寺が目につきます。以前特集しました「東京女子体育短期大学」がコピスのあたりにありますね。ただそれ以外は、あるべき道もなければ、サンロードやダイヤ街といった吉祥寺名物のアーケードも単なる道路です。

また街の中心部を離れると白い空き地も目立っている状態。これが当時の吉祥寺だったんですね。

以前特集しました「町名整理(昭和37年施行)」前、大字(おおあざ)吉祥寺の時代。また昭和30年初頭と言えば、みなさんご存知の通り「三鷹市との合併問題」がホットだった時期でもあります(昭和30年 三鷹市議会で合併否決)。



■昭和30年代の吉祥寺駅周辺の様子(武蔵野市報)


いずれの方面でもホットだった昭和29年。吉祥寺では大きな社会問題がクローズアップされていたんです。それを機に再開発が議論される様になります。