第43回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(前半最後)












































昭和38年 都市計画決定!

「全員協議会」でギリギリの計画決定の後、次なるハードルは事業計画決定なんですね。

 都市計画決定:事業を行う区域、道路等の配置を決める
 事業計画決定:建物設計、資金計画、施行規程を決める


という2段階で進むのが市街地再開発事業なんですが、昭和38年に決定したのは都市計画決定。事業計画決定に向けてさらなる具体化が進んでいきます。

■冒頭写真:武蔵野市報 昭和62年3月21日



昭和41年9月

吉祥寺駅周辺等都市計画事業計画が発表されます。事業期間は昭和47年まで。これを受けて、またもガチンコ勝負の「全員協議会」が開かれます。
























ちなみにこのときの計画。たとえば音体跡地(現在の吉祥寺コピス)をみると、

 ・地下2Fが駐車場(82台)
 ・地下1~3Fが店舗
 ・4Fが屋上庭園
 ・5F~9Fが住宅(3DKが中心)


という様に、まだまだ計画という感じだったんですね。

■写真:武蔵野市議会報 昭和41年11月 第106号

9月22日

朝8時前から会場に多くの傍聴希望者が殺到。50名以上が傍聴席から溢れる、という異常な喧騒の中で協議会が始まります。ここでの焦点の一つは「土地区画整理」か「用地買収」で進めるか。議論は用地買収に傾きます。

■参考:土地区画整理/用地買収(横手市ホームページ)http://www.city.yokote.lg.jp/kakuka/tosiseibika/tosiseibika_totikukaku.jsp

そしてもう一つの論点が「強制執行」にはならないかどうか。ここについては委員会側も「事業の実施過程で粘り強く話しあっていくしかない」と引き取るんですねー。


25:3

翌10月に緊迫した空気の中で開かれた全員協議会で、計画事業決定の採決がとられます。結果は25:3の圧倒的多数で事業決定を支持する結果となったんですね。

事業決定を支持する声としては「再来年の昭和43年10月に国鉄高架化・複々線化が完了する~!。急がないと計画区域内に鉄筋の建物も多く、今決めないと禍根を残す!」というもの。国鉄の工事の進捗を横目に見ながらの決定、という当たりは「都案」で計画決定をした時と同じ構図だったんですね。

ただやはり、事業計画決定の付帯決議ってのがありまして

 ・市は関係方面と密接な連絡をとること
 ・地元意見を尊重して、誠意ある話し合いを通じて対象住民と信頼と協力を得る
   1 換地と補償のための協議機関を設置
   2 受益者負担制度十分に研究すること


という前提もついて何とか事業決定にこぎつけます。重要なことが先延ばしされつつ、計画のみが進んでいく様なそんな具合にもみえますね。

昭和41年 12月 東京都都市計画審議会で議決
       12月 建設大臣告示 第4064号


という具合で、事業決定に至る訳ですね。これが計画段階のすべてのステップが完了!いよいよ事業実施に進む訳ですが、後半に続きます!


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