第37回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(4)





























動き出した駅周辺再開発!

ということで、ようやく進み始めた再開発計画なんですが、その案と範囲は以下の様な内容だったんです。

<再開発範囲>
 ・南北方向:井の頭通り~五日市街道
 ・東西方向:市道104号線(弁天通り)から公園通り(東急前の道路)
 ・総面積 :207800㎡


■写真出典:武蔵野市議会報 昭和37年4月 第83号



ということで

おわかりの通り、東側は実は現在のヨドバシカメラの裏手、弁天通りまでが再開発範囲だったんですね。今よりかなり大きい範囲です。

そしてその基本的な方向性はといいますと

<基本的な方向性>

 ・北口広場は対象物件の少ない線路沿を基本
 ・JR(当時国鉄)の高架&貨物駅廃止に伴う空地を最大限活用
 ・南口広場は、多摩青果市場と井の頭線高架下を使用した長方形
 ・事業費は第一期工事として20億円(当時)。総額で52億円


というのが市長案の大枠なんですね。

しかし計画と方針を決めても、ここからが市街地再開発事業の難しいところ。都市計画法第12条という法律にのっとって進められるわけで、当然、再開発地域の住民や商業者の皆さんとの合意が最重要課題なのです。

ゴールは、東京都都市計画地方審議会での「計画決定」。その前提は住民やステークホルダーの皆さんと丸く治めること。ただ動き出したのが昭和29年ですから、既に7~8年の歳月が経過していた訳でもあります。























委員会の皆さんの主張は「とにかく計画決定させて欲しい!細かい話は後からできますから」というもの。

一方、再開発区域の住民や商業者の皆さんは「おいおい!それより先に、私達がどこに移住&移転したら良いのか、補償も含めてはっきりさせてからでしょう」というもの。



昭和36年に市長案が発表されて以降、計画決定をめぐり、吉祥寺駅周辺都市計画調査特別委員会計57回、また地元の皆さんとの懇談会計31回開催され、双方の主張がぶつかり合うガチンコの勝負が展開されて、まさに大混乱。

このまま昭和30年前半の時の様に決まらずにずっと進むんでしょうか。しかし当時とは状況が違います。JR(当時:国鉄)の高架化&複々線化の計画が着々と進んでいるんですね。いつまでも決めない訳にも行かなくなってきたんです。


その時、委員の皆さんも住民・商業者の皆さんも予想もしない展開おこります。


人気の投稿