第46回 後半開始!副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(8)


















F&Fビル

ということで、Blog de 吉祥寺の総力特集「吉祥寺駅周辺再開発事業」後半です。ここまでお送りしてきました昭和29年の委員会立ち上げから事業決定に至るまでの約10年余り。ここに至るまでの紆余曲折は想像を絶するばかりですが、これは序章に過ぎなかった訳なんです。

写真出典:武蔵野市議会報 昭和43年7月 第115号




昭和43年

時は高度経済成長の真っ只中、当時日本一の高さを誇る「霞ヶ関ビル」完成した年でもあります。また東京、大阪で初めて電車の自動券売機が導入された年でもあります。人々の生活の風景が変わりつつある頃だったんですね。

そんな中で、当時の吉祥寺駅周辺再開発の目玉だったのが「F&Fビル」の開発。ただ問題は器(ビル)は良いが中身(テナントさん)はどうする?というもの。

そして昭和43年、商工会議所が百貨店、専門店などの事業者から希望を募ったんですね。その後の委員会での議論の結果、選ばれたのが「伊勢丹だったんですね。(惜しまれつつ2010年3月14日に撤退、後継テナントが現在の「吉祥寺コピス」って訳ですねー





















ただ物事決まれば反対意見も出ます。地元の商業者の皆さんから「そんな都心の大きな店が出店されたら、ウチはどうなるのよ~」という反対の声が多数。



そこで昭和43年5月に開かれたのが例の市議会全員協議会。協議会の席上、委員会側は「伊勢丹」を選んだ理由として

・愛顧感があって若い人を中心に吸引力が強い
・最近(昭和40年代当時)の営業成績が良い
・地元商業者とのバッティングが少ない


と説明。当時の百貨店は高度成長事態を迎えて、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。結局、出店反対派もそのお客さんの吸引力の強さには抗しきれず、「零細業者を中心にしっかりと話し合いをすること」と付記した上で出店容認を可決したんですね。

しかし、この「付記」が最後の最後まで補償問題で揉めてしまう遠因ともなったりしたんですが、それはまだ先のこと。それ以外にも取り決められたのは「転貸禁止、保証金返還」などなど。

いろんな関係者の利害が衝突する時のエネルギーたるやすさまじいものです。そんなエネルギーの中で、少しずつ吉祥寺の街の骨格が固まっていくんですねー。