第47回 後半開始!副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(9)
昭和43年6月
前回はF&Fビル(現在、吉祥寺コピスさんがテナントとして入居)について特集しましたが、その一方で同様に慌しさを増してきたのが「駅前周辺の再開発」。
その焦点は吉祥寺駅高架下の「(仮称)ステーションセンター」の建設。昭和43年6月に武蔵野市、鉄道弘済会他の合同出資会社設立に向けた大詰めの調整。資本金は1億円、そのうち武蔵野市の出資金1500万円。
この会社が核で、「アトレ吉祥寺店(昔の吉祥寺ロンロン)」設置されたんです。
■写真出典:武蔵野市報 昭和45年1月 第554号
同時に同年(昭和43年)12月、この合同出資会社がカギとなったかはわかりませんが、武蔵野市と国鉄(現:JR)との間で「吉祥寺駅に快速を止める!」ことに関する覚書が無事締結されたんですね。(Blog de 吉祥寺でも、以前この一部始終については特集しました~)。ちなみに、この覚書を見ますと「三鷹~立川間の複々線化工事が完了するまでは」という条件付き。ギリギリの政治決断だったことが伺えますねー。
またその頃、吉祥寺駅とF&Fビル方面を結ぶ駅前通りにアーケードを建設しよう、という話も一気に進んでいきます。
アーケード建築事業
総工費 1.2億円
アーケード 約6600万円
照明設備 約2200万円
その他
東京都から9000万円を借り入れ、武蔵野市が10%を補助するこちらも一大事業。おわかりの通り、これが現在の「サンロードのアーケード街」の基礎となるんですね。当時、地下街にするかアーケードにするかで議論が分かれましたが、吉祥寺は「アーケード」を選んだわけです。
昭和43年8月
この夏場にFFビル側の開発母体となる「財団法人武蔵野市開発公社」も設立。再開発の目玉となる商業集積の再開発が一気に進んでいきます。その間、大型店と地域商店との争い、という問題も浮上してきます。
「複製新宿」というキーワードもありました。吉祥寺は今や大型店ばかりで新宿のミニ版になっている。もっと個性的なお店を増やそう!という論点ですね。そんな中で、行政として今少し商業に深く関与しなければ、という方向性の中での公社設置です。
一方で、昭和40年代の吉祥寺には露天商も多かったのですが、サンロード商店街振興組合とダイヤ街商店会協同組合が露天商締め出しを行ったり、サンロードのアーケード街を2層化しようという動きも出てきました。オイルショックで立ち消えになってしましましたが、今のイオンモールなどと同じような全天候型の複層型ショッピングモールの元祖構想ですね。
■写真出典: 国土地理院_昭和32年
その後の開発年表はと言いますと、
昭和44年 3月 中央線複々線高架化の工事完成
昭和44年10月 F&Fビルの工事着手
12月 (株)吉祥寺ステーションセンターロンロン オープン
昭和45年11月 ターミナルエコー オープン
昭和46年 3月 伊勢丹吉祥寺店開店
サンロードアーケード街完成
昭和47年 3月 F&Fショッピングセンターオープン
という様に、昭和47年で吉祥寺駅周辺の現在に通じる骨格ができあがることになるんです。順調に進んでいる様にも見えますが、実はその裏で色々と課題も山積していたんですね。