第48回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(10)
吉祥寺大通り!
ということで、再開発編後半もいよいよ大詰めを迎えていきます!。吉祥寺駅周辺再開発の大きなポイントは、前回特集しました「F&Fビル(現在、吉祥寺コピスさんが入ってますね)開発」と「街路の整備」なんですね。
そもそもの吉祥寺駅周辺再開発の大きな目的は「増え続ける自動車をどうサバくか」というもの。駅周辺は1899年(明治32年)の吉祥寺駅開設以来の状況。現在のサンロードはアーケードのない「駅前通り」と呼ばれる道路で、買い物客の間を路線バスが往来する、という危険な状態だったんですね。
■写真・資料出典:武蔵野市報 昭和62年3月21日
なので駅周辺再開発にとって「街路の整備」はまさに至上命題。なかでも「吉祥寺大通り(現在のヨドバシカメラ前を通る井の頭通りと五日市街道をつなぐ片側2車線道路)」と「本町新道(ヨドバシカメラ前からサンロードを横切って東急方面に伸びる片側1車線道路)」の2本は、まさに「道無き道」をつくる大事業だったんですね。
武蔵野市都市計画道路1・2・1号
これが計画時の「吉祥寺大通り」の正式名称。道を拓くのみならず、この事業の一番のポイントは「井の頭線吉祥寺駅」をどうくぐらせるか。
JR中央線はちょうど高架化の工事が始まっており、それに便乗する形で下を通せば良かったんですが、問題は井の頭線の方。当時はガードなどなく築山の上に駅がある様な状態だった訳です。
営業中の鉄道の駅下にガードを造るという難工事。
そして最大の問題は、その費用をどう分担するか。吉祥寺駅周辺の再開発は東京都・武蔵野市が主体で進められている事業、当時の京王帝都電鉄は主体とは異なります。ただし駅周辺再開発の恩恵を受ける立場でもあり、100%無関係ではない訳です。
■出典:武蔵野市議会報 昭和48年5月15日 140号
そこで両者の間で喧々諤々の議論になった結果、
京王帝都 → ガードの建設費用負担
武蔵野市 → 街路の整備費用負担
という点で落しドコロとなったんですね。
武蔵野市都市計画道路1・2・1号事業実施に係る
井の頭線高架橋掛替工事委託
という長い名前の工事が昭和48年5月に市議会で可決。武蔵野市から京王帝都に工事が委託される形で進められることになった訳です。
一方
「吉祥寺大通り」開通により路線バスはサンロード(駅前通り)から大通り側を走ることになった訳で、サンロードの商店の皆さんからは「これで来街者に安全に買い物してもらえる!」という安堵の声も。その一方で「お客さん減っちゃうんじゃない」と気にする声も。
そこで「吉祥寺駅入口」バス停留所、現在の「駅前通り入口」バス停留所を廃止せずに残してくれ!(そうすればバス停で降りて、サンロードを抜けて駅に行くお客さんにも都合が良い!)」と、サンロード関係者が市議会に請願、「もっともだ」と昭和51年5月に可決されたんですね。
武蔵野市西部からバスにのって吉祥寺駅まで通勤通学されている方も多いと思われますが、実は「駅前通り入口」バス停留所、そんな歴史もあったんです。
昭和52年11月
昭和52年といえば現ソフトバンク球団の王貞治さんが巨人時代に世界新記録の756号ホームランを達成した年でもあります。この年にようやく苦難の工事を乗り越え、井の頭線をくぐるガードが完成、吉祥寺大通りは全通するんですね。
これで吉祥寺駅北口と南口をつなぐ大動脈が、先に全通した公園通りと合わせて2本完成。翌年の昭和53年には駅南口一番の商業集積である丸井吉祥寺店も開店して、いよいよ吉祥寺駅周辺再開発も最終段階に入っていきます。
しかし
ここから迎える最後のハードルは決して低いものではなかったんですね。昭和52年当時、ここまで開発が進んでもなお、吉祥寺駅再開発事業完了の昭和62年まで、なんとあと10年。そして、吉祥寺駅前で再開発で最後まで残された三角地帯と呼ばれていた一角。
いよいよ吉祥寺駅周辺再開発も佳境です。
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