第50回 副々都心の商業地域へ!?。吉祥寺駅周辺開発の歴史を探る!(最終回)




















昭和62年(1987年)

バブル景気一色の時代。東京都の1年間の地価上昇は約2倍に膨れ上がり、NTT株が上場、国鉄が民営化、そしてお隣中国では天安門事件が起こるなど、まさに政治経済が混沌と変革の只中にいる様な、そんな時代。そんな中で、吉祥寺駅周辺再開発事業は無事完了。ようやく現在につながる吉祥寺の街の骨格が完成するんです。

 写真出典:武蔵野市報 昭和62年3月21日




すでに昭和29年の委員会立ち上げ、検討開始から33年間の年月が経過。その間の武蔵野市長さんも、既に亡くなっていた故 荒井源吉さんの他、後藤喜八郎、藤本政信、土屋正忠さんの4代。当時は「全国で最も早く着手して、最も期間を要した再開発事業」と呼ばれて、全国でも有名になったんです。


















投じた費用は、当時のお金で用地買収費83億円、築造工事費7億円、FFビル建設を合わせて120億円超の巨費。北口広場を含めて1平方キロに満たない商業住宅密集地に都市計画道路を3本通すという事業内容。いずれの事実からも極めて難易度の高い事業であったことが簡単に想像できますね。



昭和62年3月31日11時

事業の完了期限であるこの日、約5ヶ月の突貫工事で完成した吉祥寺駅前広場(北口)で「完成記念式典」が開催されます。同時に販売されたのが、記念はがき、タバコ、記念テレホンカード、記念オレンジカードといった記念グッズの数々(もってる人いらっしゃいますでしょうかね)。




ということで

明治32年  吉祥寺停車場開設
昭和29年  市議会駅前広場年計画特別委員会設置
昭和41年  全員協議会で吉祥寺駅周辺都市計画事業決定
昭和62年 吉祥寺駅駅前広場供用開始




 この再開発事業、吉祥寺停車場開設から90年近くを経て歴史に大きなマイルストーンを刻んだ訳です。そして、当初の目的の「交通渋滞の緩和と商業の発展」、これらは再開発を機に大きく改善し、その後も吉祥寺は発展の土台になっています。皮肉なことに、ますます新しい来街者が増え続け、土日は市街地渋滞が慢性化してますね。


じゃあ

再開発事業がどこか途中で断念され、駅前通り(現在のサンロードアーケード街)を路線バスが行きかっていたような、かつての吉祥寺であれば、どうだったのか。ここまでの発展は無かったのは少なからずとも事実でしょう。そして、この発展によってまた失われたものもあるのも、また事実です。

ともあれ、いろいろな利害関係者の主張意見がガチンコでぶつかり合う喧騒のなかで、この長きにわたる事業を成し遂げた先輩吉祥寺人の労苦は想像に難いものです。




















今日も、吉祥寺駅前広場は多くの人が行きかっています。大学生が待ち合わせをしたり、パフォーマーが芸を披露したり、どこかの会社さんがティッシュを配布されていたり。


住みたい街全国ナンバーワンの街、世界的なガイドブックであるミシュランで★評価を得る、そういう素晴らしい街に発展したのも、実はこの長きに渡る再開発事業があればこそだったんだと思いますね。


ということで

Blog de 吉祥寺史上、最長の全12回特集となった再開発事業編も一段落です。







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