第54回 吉祥寺の大動脈!関東バスを追う~(3)
都営バス
東京都(東京都交通局自動車部)が経営する公営バスですね。緑色とアイボリー配色の車体はおなじみですねー。都区内のバスは凡そといって良いほど、この都バスが走っています。
1923年
この都営バスが運行を開始したのは1924年1月18日のこと。民間業者がひしめく中で、公営バスが多く走っている理由は、実はこの前年にあった未曾有の大惨事「関東大震災」に端を発するんですね。
当時の東京市内(都ではなかったんですね)の主要交通機関は映画「三丁目の夕日」でおなじみの「市電」。いまの都電荒川線的な小さい電車が東京を縦横無尽に走りまわっていたんですね。庶民の通勤通学に欠かせない足となっていた市電。
これが1923年9月1日(今は防災の日になってますね)に起こった関東大震災により大打撃を受けることになるんです。無論、小さいながら鉄道ですから線路や架線、その他の設備の復旧に大きな時間を要することになったんです。
そこで応急の手段として検討されたのが「バス」だったんですね。当時の東京市電気局(市電でしたので経営は電気局だったんですね。都制と合わせて電気事業は分離、交通局に移管)は、バス用車両として10~15人乗りのT型フォードを1000台発注(後に800台に変更)、1924年1月にバス事業を応急手段として開始したって訳です。
※写真出典:wikipedia「円太郎バス」(交通博物館所蔵)
震災後の都市計画に基づいてバス車両も通行できるような幹線道路が整備され、また震災の被災者が東京郊外に移住して、住宅地が少しずつ広がりを見せるに連れて、住宅地と鉄道の駅との間で庶民の足となる路線バスは急速に運行エリアを拡大していくことになるんです。
吉祥寺も関東大震災の被災者が移住してきて、街に人が急増してくることになります。
※写真出典:参謀本部陸地測量部発行_大正11年
そこで当時の吉祥寺界隈でも「バスを~」との声が高まってくる訳ですね。
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