第56回 吉祥寺の大動脈!関東バスを追う~(5)
中央線
吉祥寺を通り多摩の大動脈たるオレンジ色の電車。明治22年、多摩地区でいち早く開通した鉄道の中央線=かつては甲武鉄道でした。ちなみに現在は高尾までオレンジ色の電車が走っていましたが、1967年までは中野止まり。それまでの吉祥寺駅はいわば“高尾の先”的な位置付けだったんですね。
なにはともあれ
多摩地区の交通体系は歴史的に「中央線北」「中央線南」で大きく分かれてきたんですね。例えば私鉄で言えば、中央線北は「西武鉄道」、中央線南は「京王電鉄」という訳なんです。
■出典:wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E7%B7%9A%E5%BF%AB%E9%80%9F
現在の京王電鉄、かつての京王電気軌道は、1938年の陸上交通事業調整法による規制強化の前後に、今後、事業継続が懸念されるような零細バス会社や、競合バス会社を次々と買収していくんですね。
<京王電気軌道のバス会社の買収>
1937年 甲州街道乗合自動車(新宿~多磨霊園)
1937年 高尾遊覧自動車
1937年 藤沢自動車(藤沢に本社,津久井、半原、橋本エリアまで進出)
1937年 中野乗合自動車
1938年 八王子市街自動車(八王子~高尾山下)
1938年 高畠乗合自動車(高幡不動~立川)
1939年 由木乗合自動車(八王子~由木~相原)
という具合。あっと言う間に「中央線南」領域において、大きな影響力をもつ企業になっていくんです。鉄道企業がこういった買収合戦を繰り広げた結果、1930年代後半の多摩地区のバス会社は
・京王電気軌道
・西武鉄道
・多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)
・青梅電気鉄道(現在のJR青梅線)
を大手としながら、
・帝都電鉄(現在の井の頭線)
・武蔵野乗合(現在の小田急電鉄)
・府中乗合(現在の京王バス中央)
・立川自動車(現在の立川バス)
・高尾自動車(現在の西東京バス)
・藤沢自動車(現在の神奈川中央バスの一部)
・関東乗合(現在の関東バス)
・五王自動車(現在の西東京バスの一部)
・武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)
といった中小バス会社が混在するという状況になっていったんです。名称は違いますが、現在まで続いている見慣れた路線バス会社のルーツをみることができますね。
井の頭線も当時は「牟礼~井の頭公園」といった独自のバス路線をもっていたんですね。そして、関東バスのルーツ=「関東乗合自動車」もしっかりと中小の一角で名を残しているのがわかります。
しかし時代は徐々に第二次世界大戦に向けた産業統制の時代に入っていきます。そんな中で複数の鉄道会社を統合してより統制の取れた交通政策を!という声が高まってくるんですね。関東バスもその荒波にのまれていくことになるんです。
参考文献:多摩の都市化と鉄道(鈴木文彦)
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