第61回 吉祥寺の大動脈!関東バスを追う~(9)




















江ノ島行き

ということで、引き続きBlog de 吉祥寺は「関東バス特集」。ってな訳で、前回は「関東バスは京王資本下にありながら、なぜ経営統合されなかったの?」というお話。戦前戦中戦後にかけての東京都下の郊外拡大に伴う路線バス網の拡張、当時の路線バス事業はまさにベンチャービジネス。アンダーグラウンドでは諸々の紆余曲折&合従連衡があったって訳です。




そして時は戦後の1950年代、上下水道網の普及と共に道路舗装&整備が進められ、いよいよ路線バスの黄金期を迎えるんです。路線拡張は競合同士の激突を生み、同一路線に2社以上が相互乗り入れで運行するパターンなども。吉祥寺駅だと、吉祥寺~調布駅間の路線がそう。小田急バスと京王バスの2社が仲良く分け合って運行してます。


そしてそんな中、運行され始めたのがる「長距離路線」。長距離路線といえば現在の「高速バス」を思い起こします。しかしどっこい、1950年当時は高速道路などありません(1963年の名神高速開通が日本の高速道路の夜明け)。完全なる「下道(したみち)」走りの路線バスの長距離版だったんです。


<長距離路線バスの歴史>
  1949年 新宿西口~八王子(京王)
  1949年 荻窪~青梅(東京都交通局)
  1950年 東京駅~武蔵境(小田急、京王、東京都)
  1961年 立川駅~奥多摩湖(立川、奥多摩)
  1964年 立川駅~八王子駅~江ノ島(立川、京王)






















ということで、荻窪~青梅駅間の路線バスってのはスゴいですね。ひたすら青梅街道を西進!いう感じなんでしょうか。なかには立川~八王子~江ノ島ってのも。1960年代は本格的なレジャーの時代が到来して江ノ島観光が一大ブームとなったんです。海水浴は江ノ島、旅行は熱海という時代。。



1964年
 
ここで登場したのが吉祥寺~江ノ島行きの路線バス。運行は小田急バスと京王バスの2系統。吉祥寺駅が高架になる前の南口から出発してました。実はさっきの調布駅行きのバス、かつては経由して江ノ島までお客を運んだ超長距離路線バスだったんですね。























そして肝心の関東バスはというと、あまり長距離には積極的に手を出さず、地場の路線網の充実に邁進します。なぜなら域内の人口が激増してたから。その原因は「団地」なんですね。昭和30年には日本住宅公団が設立され、戦災による住宅不足解消や、都下に激増した都心勤めのベッドタウンとして「団地」がどんどん造成されたんです。


吉祥寺界隈ですと、

 1958年 牟礼団地 
 1959年 桜堤団地 


が出来ました。牟礼団地には小田急バスが、桜堤団地には小田急と関東バスが乗り入れを開始するんです。今でも吉祥寺駅から桜堤団地行きが入っていますね。こうしてレジャー時代団地造成の追い風を受けて路線バスは黄金期を迎えるんです。


しかし、道路や駐車場が整備されるということは自家用車も増えるということ。1970年代は自家用車が増え、電車の本数増に伴う開かずの踏み切り」の常態化、など路線バスにとっては受難の時代に。





前特集した吉祥寺駅再開発も、交通事情の悪化が事業着手の大きな理由でしたね。たしかに吉祥寺サンロード(当時は駅前通りという名前で、アーケードの無い商店街。今のヨドバシカメラ前の通り=吉祥寺大通りの無い時代ですねー)を関東バスが走り抜けていた、という時代背景からも、その点が垣間見えます。


写真出典:武蔵野市報 昭和62年3月21日(昭和30年代駅前通り)

ともあれ公共交通機関にとって「定時性」は最重要課題。走行環境悪化で、そこが大きく損なわれることになった路線バス。1973年には吉祥寺~江ノ島駅の路線バスもついに廃止になり、「踏み切りを越えない」短距離路線メインの今の姿に近づいていくんですね。


ってな訳で次回は関東バス特集のフィナーレ、今の「関東バス」の姿に迫ります。




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