第68回 吉祥寺のガンジス?街を育んだ母なる流れの謎に迫る!!(5)
















玉川上水をめぐる陰謀


ということで、前回の続き。陰謀ってどんな内容?という手がかりを知るために注目したいのは、玉川上水通水の2年後1655年に通水した「野火止(のびどめ)上水」なんです。


■写真出典:郷土学習資料 玉川上水(三鷹市教育センター) 大正時代の上水






 ■日野からの取水!?当初計画の問題


玉川上水から現在の小平監視所より分水されている上水路のコト。大泉ICから関越道を走ってしばらくすると高速道路の上を野火止上水鉄橋が渡る、という面白い光景に出会えます。



















この野火止上水は小平から川越に至るんですが、実はこの川越藩を治めるのが家綱より玉川上水開削の命を受けた老中「松平信綱」なんですね。実は羽村からの取水になって得したのが川越藩。小平からの開削で上水が使える様になった訳でお金も相当浮いたはずです。ちなみに日野取水ルートでは武蔵野台地の関係で川越まで上水を引くことはできません。

■資料:玉川上水の分水口(東京都水道局)

陰謀説ってのは、そこで日野取水ルートを失敗>羽村取水というシナリオを、玉川姓&上水管理の世襲とバーターで握っていたんではないか、という話。そこまでニギれていなければ、私財をなげうつ前に幕府に追加予算請求していたはずですから(諸説あり)。追加請求していれば当然、幕府側の工事責任者である松平信綱さんは責任をとらざるをえなかったはず。


ちなみにこの松平信綱さんは、例の島原の乱において幕府側の総大将だった方でした。その功績が認められ川越藩を与えられた、ってのは何とも皮肉な話。


 ■明暦の大火で焼失?少ない史料














で、当時の文献を細かく調べようとすると、これだけの国家事業の割に驚くほど資料が残ってません。何故かと言えば、一説によれば1657年、吉祥寺村移民の契機となった「明暦の大火」で燃えてしまったという説、またはウラ有り案件故に意図的に残されなかった(処分された)という説、いろいろあるんですね。事実はわかりませんが何となく後者の方がそれっぽい感じです。

現在は井の頭公園脇を淡々と流れている玉川上水。今から350年前には事業をめぐるいろいろな駆け引きがあったんですね。しかしこれだけの規模の大工事「いわく」はこれだけではなさそうです。