第77回 2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う(3)















東京都水道水源林


といえば東京都多摩川の上流、奥多摩湖畔に広がる21,630ha(23区面積の約35%に相当)の森林。ご存じ奥多摩湖には小河内ダムという重要な水道施設があり、羽村取水堰を経て玉川上水につながる最重要水源だったんです。

■写真出典:東京都水道局

水源林の大切な役割は「保水」。雨水を地中に貯めて洪水や渇水を抑える効果があるんだとか。まさに「緑のダム」ですね。で、この東京都水道水源林、もともと明治34年に当時の東京府が保全を始めたものなんですが、もともとは「皇室御料林」という皇室の持ち物を東京府が譲り受けたものだったんです。

■東京都水道局
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/pp/hureai/story.html



















そもそも、御料林とは皇室の財産としての林。明治維新後、国会開設と憲法制定を目指す自由民権運動が活発化した際、当時の政府実力者(右大臣)だった岩倉具視氏が国有資産への議会関与を嫌って、それらを次々と皇室財産に移していったんですね(ちなみに皇室資産は当時の大日本帝国憲法ではなく皇室財産令により管理帝国議会の統制外だったんです)。明治初期の政府運営は自由民権運動との譲歩の歴史だったんだとか。


■出典:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3


で、余談はとにかく、冒頭の奥多摩湖これと似た位置付けが明治初期の「井の頭池」。井の頭池に端を発する神田上水は1901年に玉川上水を原水とする淀橋浄水場開設までは東京府民の重要な水源でした。

江戸時代、井の頭池周辺は幕府領(直轄地)だった訳で、明治維新後は帝室御料地に組み入れられるんですが、明治3年頃に「井の頭池水源確保維持」のため水草除去や護岸修理が行われたり、明治15年には水源涵養のため杉苗1000本を植えたりしています。完全に水源地としての扱いだったんですね。



















よく「昔の井の頭公園には杉林が鬱蒼(うっそう)と茂っていたんだ」という昔話を聴くことがありますが、実はこれらはこの時に植林された水源林として植林された杉苗、全部が全部自生していたものではありません。明治8年の明治政府による立木調査をみるとナラ、サハラが主木で約6600本となっています。今も公園内の一部でみられる杉林は水源林時代の名残でしょうか。


その後、明治22年に大日本帝国憲法が発布され、御多分に漏れず井の頭公園周辺は宮内省御用林に組み入れられ以降は皇室財産令により管理されることになるんです。





















■出典:Wikipedia



ちなみにBlog de 吉祥寺流、江戸末期~明治維新初期の井の頭池エリアの自治体区分の変遷を見てみると、


 江戸時代 幕府領(直轄地)吉祥寺村
 明治維新 武蔵県(帝室御料地)
 明治2年  品川県六番組吉祥寺村
 明治4年  東京府吉祥寺村
 明治5年  神奈川県第11大区4小区吉祥寺村
 明治26年 東京府北多摩郡武蔵野村


という感じですね。



また明治維新直後に帝室御料地となった井の頭池周辺ですが、明治4年に新政府の財政難から当時四ツ谷に住んでいた岩崎伝次郎さんに売却され、その後あわてて買い戻されたといった話も。これらの事実からも維新直後の新政府の混乱ぶりがうかがえます。
























てな訳で、維新直後に「水源地」として保全対象となり、また当時の政治情勢から「御料地」として帝国議会の統制外に置かれた井の頭池周辺。現在では考えられない様な感じですが、その後、明治33年に、ある稀代の経営者の出現により事態は急変します。


■出典:wikipedia

そしてその後の「園内在来の樹木は、総て之を保護するのみならず、補植樹木も現在主と同種又は類似のものを用い、道路其他工事上支障とならざるものを可及的保存し」という歴史的な一大公園計画につながっていきます。

詳しくは次回に!。