第80回 2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う(5)





園内在来の樹木は、総て之を保護

ということで井の頭公園設立秘話の続きです。明治の財界重鎮そして東京都感化院院長で井之頭学校の運営に全力投球していた渋沢栄一氏と東京都道路課園芸主任 井下清氏との「公園をつくりましょう」という会話が契機となって、郊外公園計画が始動した、という話でした。

人口が200万人を超えて都市化が進み、一刻も早く市民生活に自然との交流の場が求められていた明治末期の東京、そして日々の生活に自然が組み込まれた「田園都市構想」を温めていた渋沢栄一氏、いろいろな想いが一つになり郊外公園計画が一気に進んでいきます。

























写真出典:Wikipedia 東京市役所(東京府庁合同庁舎)


大正2年10月

東京市は宮内省に対して「井の頭御料地無償借用申請」を提出、それと共に東京市は「東京市郊外公園設置計画案」を提出。なんとこの議案は即日議決され、さらに渋沢栄一氏が「東京都の公園計画を全面的に支持」することを表明、宮内省も借用申請の検討を始めます。

そしてその2か月後の大正2年12月19日には宮内省より東京市に「沙汰」があり、東京府北多摩郡三鷹村牟礼字井之頭、武蔵野村吉祥寺字御殿山の土地、66,245坪を帝室御料地から東京市に「公園廃止の折は返還するように」との条件付きで下賜する旨が電光石火で決まるんですね。
























■写真出典:渋沢栄一(Wikipedia)

その電光石火の裏には、渋沢栄一氏の働きかけや身寄りのない子供達を助けようという井之頭学校の存在もさることながら、井下清氏が中心になって掲げた公園計画案が素晴らしかったのだ、という見方もあります。

その計画案の一文も見てみましょう。


「園内在来の樹木は、総て之を保護するのみならず、補植樹木も現在主と同種又は類似のものを用い、道路其他工事上支障とならざるものを可及的保存し、やむを得ざるものは移植し、生育の見込みなきものは伐採し、円内設備用材とす。(中略)井之頭学校生徒をして、園芸実習のため本公園の手入れに従事せしむ」


イベント的な目新しさや公園としての斬新さではなく「公園をつくる時も園内の天然物の可能な限りの保存を!」という地域固有の資源を最大限に生かす点に重きを置いたという点に京都園芸主任の井下清氏の強いこだわりが感じられるんですね。無論、工事も東京市道路課園芸掛の直轄工事、三鷹・武蔵野両村の人たち、井之頭学校の生徒といった当時の地域の人達が一丸となって、大正3年1月の着工から4か月で竣工してしまいます。


また計画の1つのポイントは「パークウェイ構想」が織り込まれている点。

明治時代に立案された計画にカタカナで「パークウェイ」と書かれている点の進歩性は特筆してよい、という専門家の見方もあります。ちなみにこのパークウェイ構想とは、「玉川上水」に沿って御殿山から西へ、小金井、青梅街道につながる緑の緑道構想。いわばグリーンベルト構想の走り。この地域を切り拓いた「玉川上水」がしっかり資源として活かされた計画となっています。


























そして大正6年5月1日

井の頭恩賜公園としてここでようやく正式に一般公開に至ります。そしてその2年後の大正8年、甲武鉄道の新宿駅~吉祥寺駅間が電化(電車が走れるようにした)、そして現在の井の頭線が渋谷駅~井の頭公園駅で開業します。井の頭線は井の頭公園に行くための電車だったんですね。まさに井の頭公園がなければ今の吉祥寺の発展はなかった、というのはこれが所以です。

そして吉祥寺駅からも公園を訪れやすいように翌年大正9年には吉祥寺~井の頭公園駅間の井の頭線も開通します。何故に渋谷駅からかと言えば、想像ですが渋沢栄一氏が深く設立に関与した、東急電鉄の始発駅であったからなんでしょうか。東急電鉄はその後、渋沢栄一氏の「田園都市」構想の基礎につながっていく話は以前の通りですね。

そして、当時のパンフレット「井頭恩賜公園案内図」を見ると「(中略)自然を利し設備を施し工を起こすや、この地両村の若年労を励して業に従ひ、工成るや」との一文が。地域を活かすことが、井の頭公園開園に向けた大切なコンセプトであったことがうかがえますね。














■写真出典:第29回全国都市緑化フェアTOKYO第2回総会資料
        (整備計画図)


現在、第29回全国都市緑化フェアTOKYOが井の頭公園西園で開かれていて大変な賑わいを見せています。これはこれで素晴らしいことなのですが、その計画立案はコンサルティング会社に外注。プロの仕事とはいえ、その内容には地域の固有性が十分に生かされているとは言えない訳です。三鷹市や武蔵野市の団体もブースを出してはいるのですが。





















■写真:全国都市緑化フェア ガーデニングフェスタ2012

地域の首長がサミットまで開催した大切な地域資源である玉川上水については国交省関係のイベントのせいか玉川上水緑道が少し触れられているのみ(これは推測です。玉川上水は今や文化財、文科省、文化庁マターなんですね。ちなみに緑道は東京都建設局管轄であり国交省と関わりがあります)。


















写真:玉川上水サミット(2012/9/29 津田塾大学)


またフェア会場の整備の折、御殿山の森で、井の頭公園の固有種の植物が被害を受けそうになったりもしたそうで。たかが一過性のイベントとはいえ、特旨をもって下賜された井の頭の地で自然に手を入れて開催する訳なんで、計画・整備段階でこのあたりへの配慮がほしかったところです。明治の公園計画の大先輩である井下清氏がこういった計画・整備の現状を見たらなんと評するのやら。ちなみにこの井上清氏、その後に「多磨霊園」の設計も進め、明治大正の公園設計を代表する存在になっていくんですね。

















■写真出典:井下清氏 (Studio-Lブログ 個人ブログ)
 http://studio-l-org.blogspot.jp/2004_10_01_archive.html


そして最後に井の頭公園開園時のパンフレットの一文からの引用を。

「東京市唯一の郊外公園となり以て欧米諸国の其れと相対せんとするに至れり。吾人は大いに本園を愛護し、益々その発展を計り以て理想の郊外公園たらしめんことを期す」。

井の頭公園が100周年を迎えつつある中で、井の頭公園にかかわる行政も、憩う私達利用者も、この設立時のコンセプトをあらためて心に留める良い機会なんでしょうか。



■参考文献:「井の頭恩賜公園」(中公新書)