第79回 後日談: 吉祥寺のガンジス=玉川上水編 ~ 玉川上水サミット開催(9/29)






















玉川上水サミット

ということで、去る9月29日午後、津田塾大学(小平市)玉川上水中流域の7自治体首長(立川市、小平市、小金井市、西東京市、三鷹市、武蔵野市、杉並区)をパネラー招いて開催された玉川上水サミット。会場は400名を超える来場者とマスコミ関係者で満員御礼でした。


そもそもは小平市市制50周年記念行事の一環として小平市が主催・企画して、津田塾大学並びに6自治体が賛同して実現に至ったこのサミット。

津田塾大 飯野学長の基調講演を始め、玉川上水中流域の7自治体の首長が、玉川上水と市・区との関わり・歴史から、50年後の未来までディスカッションするというなかなか見所ある内容。

Blog de 吉祥寺ではその内容をチラリとご報告いたします。




■最初は津田塾大学 飯野学長さんの基調講演から。
 (基調講演 飯野正子・津田塾大学長)


 ・玉川上水を共有する地域間の連携は魅力的。
 ・地域の原点を知ることは大切。それを海外渡留時に知った。
 ・90年前に麹町で開塾した津田塾。関東大震災で麹町校舎が損壊し、

  小平移転を推進。
 ・大戦中は、
野良仕事に出る女性の為、託児所を設置。申込み殺到。
 ・玉川上水の四季の移り変わりと共に約80年間、小平の地で過ごした。
 ・1933年に一橋大学が小平に移転。
玉川上水は「Lover’s Lane」に。
 ・玉川上水の自然。過去の記憶でも自然にまつわるものが光る。
 ・玉川上水という自然を共有すること。人を育てることにつながる。


















玉川上水という自然を共有することが、人を育てることにつながるという言葉は小平で80年間地域と共に歩んできた津田塾の言葉としては重みがありましたね。特に多摩地区はその成り立ちとして、1)江戸の新田開発時の移住者、2)関東大震災後の被災者、3)第二次世界大戦の戦災者・疎開者、4)新興住宅地やニュータウンへの転居者で構成されている街といっても過言ではありません。

そういったモザイク状の移住者達が共有する自然として玉川上水の存在は貴重なものなんでしょう。あとは海外に出て地域の大切さを知る、というのは含蓄ある言葉です。まさにグローカルというヤツでしょうか。

参考:
 津田塾大学
 
http://www.tsuda.ac.jp/

 学長室
 
http://tsuda.weblogs.jp/blog/?contents_id=ia85Sv1ZPWiE



次にパネルディスカッション
各自治体と玉川上水との関わりについて披露していただきました。



















◇小平市 小林正則市長

 ・来年、玉川上水は開削360年を迎える。
 ・「玉川上水」ブランドのお茶を販売。市庁舎でも売っている。 
 ・玉川上水の樹木伐採は「小平方式」とよばれる住民委託方式をとっている。 
 ・市内の小学校では玉川上水を題材とした地域教育を進めている。


サミットの企画運営は小平市企画課の皆さん。ありがとうございました。しかし自治基本条例を公募したという例の少ない小平方式は注目ですね。





















参考;
 ・小平方式
   自治基本条例を公募して議会可決したもの。全国でも例がなく小平方式と呼ばれている
  

 ・玉川上水ブランドのお茶
   鈴木園(小平市)の鈴木庸夫社長は「特産品として地域を元気にする手助けに」と意気込んでいる。
    (2012年5月13日  読売新聞)



◇立川市 清水庄平市長

 ・立川駅は甲武鉄道の終点駅として明治22年に開業。
 ・計画時は、駅周辺では蒸気機関車の汽水、洗浄用水確保できなかった。
 ・検討の末、玉川上水から引水。ようやく立川駅に水を引くことができた。
 ・言わば、玉川上水が無ければ現在の立川の発展はなかった。


歴史のIFに言及した興味深い話でしたね。玉川上水無くして立川駅は無し、というヤツです。立川駅は当初、現在の位置から西に500メートルずれた場所に計画されていたのですが、駅東側から砂川用水も引かれた為、東側に場所を移して現在の位置に設置されたんだとか。

参考:
 ・立川駅

  1889年(明治22年)4月11日 - 甲武鉄道新宿 - 当駅間開通と同時に開業。  
  
 


◇小金井市 稲葉孝彦市長

 ・玉川上水に沿って植えられた名勝小金井桜が有名。
 ・大正13年から花見時期に限り甲武鉄道「小金井仮乗降場」が設置。
 ・これが現在の武蔵小金井駅の原型。
 ・今は小金井公園の桜が有名。逆に玉川上水沿いの桜は樹勢が衰える。
 ・市としてはこの復活に取り組んでいく。


名勝小金井桜は今から270年前の武蔵野新田開発時代に植えられたものです。1924年(大正13年)に史跡名勝天然記念物法により「小金井桜」として名勝に指定されたんだとか。しかしその後戦後の五日市街道の拡幅整備に伴う交通量増加で、桜並木も衰えてしまい桜の名所のイメージは著しく低下したんだとか。(wikipedia)。













参考:
 ・名勝小金井桜(小金井市)

  http://www.city.koganei.lg.jp/kyoiku/koganeizakura_streaming/koganeizakura.htm


◇西東京市 坂口光治市長

 ・田無神社は「水への信仰」である。
 ・かつての青梅街道田無宿周辺には水がなかった。
 ・住民は湧水を汲みに谷戸(田無市北部)周辺まで毎日歩いていった。
 ・田無神社本殿にはその当時の「湧水から水を汲む図」が彫られている。
 ・その後、田無用水が玉川上水から分水。苦労も解消した。
 ・武蔵野の台地に水をもたらした価値はあらためて大きい。


秩父・青梅方面からの石灰輸送のために江戸時代に整備された青梅街道。田無の住民達はもともと市の北部の湧水の多い地域で暮らしていたのですが、青梅街道に田無宿を設置するにあたり、江戸幕府の方針で青梅街道沿いに移住し、宿場町を形成せざるをえなかった様です。

しかしもともとそこは水がない不便な地域。市北部の湧水を汲みに行くのが日課にこれを解消したのが田無用水。玉川上水からの分水って訳です。

参考:
 田無神社
 
http://tanashijinja.or.jp/



◇武蔵野市 邑上守正市長

 ・武蔵野の代表的な景色は、玉川上水によってもたらされている。 
 ・市長就任前に玉川上水のクリーンナップ活動をしていた。
  水路から崖線を見上げると緑の凄さがわかる。
 ・武蔵野の街づくりも江戸時代の玉川上水の軸から、

  明治中期以降には甲武鉄道(中央線)の軸にシフトした。
 ・武蔵野市の井の頭公園内の緑の中を、玉川上水が流れている。
 ・玉川上水は決して「大自然」ではない。人が造ったもの。
 ・しっかり人が手を入れて、その保全を考えていく必要がある。

















邑上市長の話は1点「玉川上水は大自然ではない」という言葉。改めて玉川兄弟と周辺住民の努力で開削された水の流れだ、ということを思い起こさせてくれました。つまり「人の手を入れて保全しなければならない土木遺構である」ということですね。そうなんです。 


◇三鷹市 清原慶子市長

 ・三鷹市では、先頃まちづくりの基本計画を策定した。
 ・水の軸として玉川上水を位置づけている。
 ・三鷹市制60周年事業の一環として三鷹市風景100選を選んだ。
  その中には玉川上水を撮影したものが多数ある。
 ・三鷹駅から井の頭公園に続く玉川上水沿いの都市計画道路を事業化。
  電線を地中化して、住民公募で「風の散歩道」と命名。 
 ・文化財・土木遺構として玉川上水保全に取り組む必要がある。



三鷹市の目玉はやはり「風の散歩道」でしょうか。いわゆる「三鷹都市計画道路3.4.13号三鷹駅仙川環状線」ってヤツです。ここは山本有三さんゆかりの三鷹市山本有三記念館を始めとして、玉川上水の緑に沿って文化的風情あふれる道筋になってますね。

むろんその先にあるのは「三鷹市立アニメーション美術館」つまり「ジブリ美術館」ってやつです。ちなみにこの都市計画道路、計画上では牟礼を抜けて外環道「東八道路IC(仮)」につながる予定となってます。



































参考:
 ・玉川上水クリーン作戦参加者(2008年 三鷹市)
  
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/koho/2008/20080302/p5.htm

 ・全国街路事業コンクール(三鷹市) 応募資料(平成19年2月)
  写真出典:上・・風の通り道整備前 下・・同整備後


◇杉並区 田中良杉並区長

 ・杉並区は住宅都市。価値を高める上で緑の存在は重要。
 ・玉川上水はその緑を支える大切な柱である。
 ・住民コミュニティの面からも大きな役割を果たしている。
 ・例えば久我山のほたる祭りでは、玉川上水にホタルの成虫を放流。
  今年も6月に開催。延べ50000人が訪れた。


玉川上水では、かつてホタルが飛び交う姿がたくさん見られた様です。ホタルの風景を今に伝えるのが久我山のほたるまつりなんだとか。ホタルの人工飼育装置、水生生物の実物展示と、ホタルの成虫放流をやってるんですね。

参考:
 久我山商店会  
http://www.kugayama.org/







最後のテーマとして「各自治体と玉川上水の今後」について語って頂きました。今後の設定は「50年後」。政治家として50年後ならば・・・(2・3年先だと政策的に縛られる・・・)ということで自由に語って頂いた様です。それぞれの首長さんの発言を整理して今回のBlog de 吉祥寺を終わりたいと思います。


















◇小平市 小林正則市長
 ・玉川上水の価値は高まっている
 ・その保全をみんなで考えていく必要がある。住民一人ひとりの想いが大切。
 ・50年後は玉川上水開削400年を超える。
 ・その時もこの様なサミットが開かれてほしい。



















■写真:野火止用水口(小平市)


◇立川市 清水庄平市長
 ・東京の中央東西40kmのグリーンベルトが存在する意義は大きい。
 ・かつて玉川上水沿にアカマツの木があった。上水沿いを裸足で散歩すると、
  アカマツの落木を踏んづけて痛かった記憶が。
 ・しかしそのアカマツも、上水沿いの環境が悪化し、枯れてしまった。
 ・現在、玉川上水中流域では高度処理水を流している。
  しかし、ほたるが生息するには高度処理水でもリン分が多すぎる状態。
 ・立川市では水中のリン分を抑える研究開発を進めている。
 ・アカマツ・蛍の復活が50年後に実現しているとうれしい。

















◇小金井市 稲葉孝彦市長
 ・市としては名勝小金井桜の復活を期したい。
 ・樹勢を取り戻すための対策を進めていきたい。
 ・たとえば五日市街道への新交通システムの導入など(個人的な想い)。

 
  
 ・緑が多い方がいいとか、開削当時の桜だけでいいとか、多様な意見がある。
 ・周辺環境をみんなで考え、自治体間つながりの場を継続して持ちたい。

































■写真:現在の五日市街道とかつて(東京都水道局)



◇武蔵野市 邑上守正市長
 ・玉川上水は市境を流れる区間が長く、行政の目がいきにくい。
 ・玉川上水を景観軸として「玉川上水を向いた街づくり」を推進したい。
 ・街の回遊性や防災面からも、玉川上水の役割を見直して考えた方がいい
 ・架橋したいのだが文化庁がなかなか良い返事がない。
 ・東京都や上流域の自治体も巻き込んだ保全活動が必要とされている。

















■写真:井の頭公園内の玉川上水緑道


◇三鷹市 清原慶子市長
 ・流域自治体の協力が何よりも大切。
 ・流域の住民や企業、都も含めた連帯が必要だ























◇杉並区 田中良杉並区長
 ・玉川上水沿いの企業グランド跡地を再開発する。
 ・その一環で2012年に東京電力のグラウンドを買収した。
 ・玉川上水の自然を生かした街づくりを推進したい。



















■写真:玉川上水東端暗渠口(杉並区)

ということで

予想以上に濃い内容となった玉川上水サミット。最後に「玉川上水サミット宣言」が採択されました。各首長間でも議論して、ギリギリ文面化できる線でまとまった、ということで。玉川上水の維持・保全を目指して参加自治体間が協力することを明記した宣言となりました。
















ともあれ開削400年に向けて、各自治体の取り組みに期待しつつ、多摩に住む一人ひとりが玉川上水と自分の関係について考えてみる良い機会にさしかかっているのかもしれませんね。



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