第84回 幻の井の頭線計画?小田急電鉄と井の頭線の接続線の謎を追う!(3)







戦場にかける橋

1957年公開、第30回アカデミー賞作品賞の不朽の名作映画です。


第二次世界大戦当時、日本軍の物資輸送における海上輸送のリスクが増大する中、ビルマ戦線への物資輸送のために建設されたのがタイとビルマをつなぐ泰緬鉄道という列車。その途中のタイ・クウェー川を渡る橋の建設をめぐる物語が先ほどの「戦場にかける橋」の舞台です。そして当初5年かかるという鉄道建設を、多くの犠牲を払いながらわずか16か月で完成させた主力が実は前回ご紹介した鉄道連隊なんですね。

1945年5月25日の東京大空襲で壊滅的な被害をうけた井の頭線、または当時の「帝都線」。神泉駅付近のトンネルに退避して何とか焼け残った車両はわずか1編成2両のみ


この復旧にあたったのが、大陸から帰国した鉄道連隊なんです。東急電鉄の復旧にあたっていた部隊が井の頭線に差し向けられたのが1945年6月初旬のこと、測量を開始して現在の井の頭線新代田駅と小田急線の世田谷代田駅の間の約644mに線路を敷設する計画を一気に固めます。

■写真出典:1951年 世田谷区(近代ライブラリー)





しかし難敵なのが敷設場所となる世田谷の地形












そもそも名前も世田「」な訳で、実は台地と谷が入り組んだ複雑な地形で、鉄道敷設には向かないエリアも多いんです。たとえば世田谷の由来は一説には「瀬田ヶ谷」。瀬とは入り江のこと。場所としては武蔵台地東南端のエリアで、湧水の多いエリアなんです。たしかに世田谷区の地名をみると「池尻」「野沢」「駒沢」「祖師谷」「北沢」「奥沢」など、それを彷彿とさせる名前も多いですね。

 ■写真出典:世田谷区の概要(世田谷区)
http://www.setagayatm.or.jp/trust/research/birdslist/bird02.pdf
 
そういえば井の頭線も、高架駅の渋谷を出ると神泉でトンネル、下北沢で高架、そして新代田は切り通し、という様に目まぐるしく地形が変わる様が目につきます。そもそも井の頭線は渋谷から永福町付近までは武蔵野台地端部を抜け、その後、吉祥寺まで神田川沿いの谷筋を走る路線なんですね。終点吉祥寺の手前で神田川を跨いで武蔵野台地上の吉祥寺駅に達します。





そして今回の連絡線の敷設場所も実は世田谷区を流れる北沢川(暗渠)流域の谷筋が入ったエリア。644m、されど644mだったんです。



















■写真出典:ジオテック
http://www.jiban.co.jp/tips/kihon/ground/municipality/tokyo/setagaya/P13_setagaya.htm




しかしそこは歴戦の鉄道連隊、かつてのタイの大河を渡る戦場にかける橋を築造したノウハウで鉄道の枕木を使った橋台で橋を渡し、難敵の世田谷の谷地形をクリアします。そして一気に工事を進めて線路の敷設が完了したのが、着工からなんとたったの約2週間後の1945年6月20日頃。驚くべきこの超スピード工事、実は大陸の連戦で鳴らした鉄道連隊からすればお手のものだったんでしょうか。








 













■写真出典:代田連絡線分岐写真・航空写真
  http://www.geocities.jp/takeshi_departure/keio-odakyu.html

 
しかし電気を通す架線の敷設が終わっていません。ただいつまでも電車を止めておく訳にはいきません。そこから人力とロープで車両の輸送が開始されます。1両1両、連結器にロープを縛って人海戦術で井の頭線に車両を引っ張っていったんだとか。


総力戦の結果、小田急線から10両、新宿駅で小田急線と接続していた国鉄から4両が搬入され、井の頭線は何とかその命脈を保った訳です。ちなみに郊外に車両基地があった小田急線、10両を捻出するにも相当の苦労だったとか。その後の1946年4月には東急東横線や京浜急行への投入が予定されていた新車12両が入り戦前の体制に復旧することができた訳なんですね。


、なんで井の頭線の復旧が当時ここまで急がれたのでしょうか。

この問いに頭を巡らせるときに思い起こしたいのが、少し前に存廃で議論になった国家公務員宿舎の話題。23区の自治体での宿舎数トップは実は「世田谷区」、2番手は「杉並区」。これらはまさに井の頭線の沿線エリア。第二次世界大戦当時も高級将校や官僚が多く居住していたんだとか。なのでその通勤に支障が生じるのは、まさに戦争遂行に関わる事態だったんですね。当時の井の頭線、帝都線との名の通り、帝都を支える鉄道でもあったんです。



という訳で、井の頭線の復興の要諦となった、この代田連絡線と鉄道連隊の物語。戦争が終了し、その後どのような経緯をたどったんでしょうか


次回は代田連絡線その後を探ります。


■写真出典:近代デジタルライブラリー
  http://kindai.ndl.go.jp/

■資料出典
 ・Web東京江原都市物語資料館
   http://blog.livedoor.jp/rail777/
 ・「鉄道廃線跡を歩く」V 宮脇俊三編著
 ・京王帝都電鉄30年史



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