第95回 吉祥寺の街が変わる!?進む再開発事業とは (7)













The Games of the XXXII Olympiad
Tokyo 2020 Paralympic Games



ということで 2013年9月8日(日本時間)、 第125次IOC総会でIOC委員による投票が行われ、一次投票でマドリード、二次投票でイスタンブールが落選し、2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定しました。諸論ありますが、ぜひ7年後の2020年、ホスト国として成功させたいですね。そしてミシュラン一つ星の「吉祥寺・井の頭恩賜公園エリア」を訪れるであろう多くの訪日外国人来街者の皆さんにも、その魅力が伝えられるようになると良いですね。Blog de 吉祥寺からもお祝い申し上げます。


また2020年といえば、Blog de 吉祥寺予想で「吉祥寺駅南口再開発竣工」予定の年。いろいろなハードルがある様に聞いていますし、この決定でひょっとしたらハードルが高まるのかもしれません。しかしそれらを乗り越えて、ぜひ新しい顔で、皆さんを迎え入れたいものですね。



■写真出典:Huffingtonpost
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/07/2020_olympic_games_n_3886958.html








さて、話は900年前、建久8年に戻ります























建久8年といえば1197年のこと。その12年前の1185年に壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。そして4年後の1189年の奥州合戦では奥州藤原氏滅亡するという、まさに鎌倉時代へと続く時代の激変期です。そんな激変の時代に吉祥寺は?というと「武蔵国多摩郡」の一部の原野にすぎませんでした(上記掲載地図は明治初期、つまり江戸の新田開発が終わった後のものです)。


無論、当時は吉祥寺駅南口なんてあろうはずがありません。吉祥寺駅南側である辺りにはカヤの原野と雑木林、そして井の頭池が広がっていました。そして井の頭池周辺には、かつて昔から人が住んでいたことが近年の遺跡発掘成果から明らかになっています。


前回のBlog de 吉祥寺では現在の話、吉祥寺駅南口の丸井別館(旧無印良品吉祥寺店)の跡に入る「ドンキホーテ」さんについて特集しました。今回は時を戻して、再び「吉祥寺駅南口の歴史」に着目して進めてまいりましょう。



■写真:明治初期の吉祥寺 本宿周辺図(陸軍測地図)




そういえば 現在、開店準備中の焼き鳥屋「いせや」の敷地内から約15000年以上前の縄文時代の「焼き場」跡が発掘されたのは記憶に新しいところです。いせやの店舗位置で約15000年前に古代人が焼き物(焼き鳥?)を楽しんでいたという事実は、まさに歴史の因果というべきでしょうか。また井の頭池の隣、御殿山の遺跡からは竪穴式住戸跡が発見され、大規模な発掘が行われていたことは皆さんもご存じかと思います。


ともあれ、古代より人が住んでいたという井の頭池ですが、その最大の歴史トピックといえば、今から遡ること約420年前、1590年の神田上水通水でしょう。この上水が拓かれて以降、井の頭池は周辺住民の水場から、はるか江戸市中を支える貴重な水源となりました。



























さて話を戻しましょう。


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「サラスヴァティー」は聖なる河の名を表すサンスクリット語である。元来、古代インドの河神であるが、河の流れる音や河畔の祭祀での賛歌から、言葉を司る女神ヴァーチェと同一視され、音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつに至った。像容は8臂像と2臂像の2つに大別される。

wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9

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さて、何かと言えば、これは「弁財天」の説明書きです。冒頭の1197年、実は「井ノ頭辯天堂」~井の頭池の西側、御茶ノ水近くに建つ「井の頭弁天堂」が建立された年だといわれています。そこに祀られている弁財天とは、もともと遥かインドの河の神様にルーツがあり、水にちなむ女神様のことだとか。そういえば同様に弁財天が祀られている「宮島(広島県)」「江島神社(江の島)」「寛永寺不忍池(上野)」「銭洗弁財天(鎌倉)」も水にちなんだ場所です。また、日本では七福神として有名です。このように弁財天が祀られるあたり点からも、当時から井の頭池は住民の貴重な水場としてあがめられていたことがわかります。

また弁財天は音楽や芸術の神様として奉られることもあります。日本各地の弁財天の中には「琵琶を抱え、バチを持って奏する」の姿をしている像もあります。河のせせらぎの音が音楽を奏でている様に聴こえることに由来するのだとか。神田上水が拓かれて以降、江戸市中や帝都の水源として、さらに町人達にとっては芸能の守護神として往時より多くの参拝客でにぎわっていました。


今でも弁財天の入口にかかる「太鼓橋」のたもとには大きく「日本橋」と彫られ、江戸時代初期のタニマチや芸能関係者の名が多く刻まれています。また周囲には寄贈されたと思われる多くの石造物群が散在しており、これらは三鷹市指定文化財に指定されてますね。




















吉祥寺にまつわる音楽といえば、たとえば1970年代~80年代にかけての一大ジャズブーム、そして曼荼羅を初めてとして、数あるライブハウスで育まれたフォーク/ロックブームが思い出されます。もしかしたらそれらは、この「音楽と芸能の神様」たる弁財天より1000年前からもたらされている壮大な歴史絵図の掌上の必然にあるのかもしれません。余談ですが。




さて、再び話を戻します。神田上水通水当時のこと、それは吉祥寺駅南口どころか甲武鉄道すらない開通していない時代ですが、多くの参拝客たちはどのようにして井の頭池の弁天様に訪れたんでしょうか。たとえば今みなさんが井の頭恩賜公園に行くとしたら、たぶん吉祥寺駅南口を降りて、駅前から丸井の隣の七井橋通りを抜けて行かれるのではないかと思います。ところが、この時代はというと井の頭池の南側、三鷹市側からのアプローチが主たる導線だったといわれています。


今でもその名残があります。1745年に建てられ、多くの芸能関係者や劇場の名が刻まれた弁財天門前の「道標」や、その表参道であることを示す「黒門」という大鳥居がそれです。黒門は井の頭池の南側、弁財天の本坊である大盛寺へと続く住宅道路の入り口に建っています。往年の賑やかさとは真逆の「静けさ」に包まれていますね。 またこの道標も、神田上水配水地域の江戸市中の住民たちからの寄贈なんだとか。




























そして、もう1つ忘れてはいけないものがあります。それは井の頭池の南側に流れている吉祥寺のガンジスこと「玉川上水」の存在。当時の江戸市中からの参拝客は玉川上水に沿って内藤新宿(現在の新宿)、高井戸(現在もあります)を通り、井の頭池の近くまでアプローチしていました。玉川上水から分かれ、黒門をくぐり、表参道を通り、井の頭弁財天と至るルート、これが井の頭池への正攻法たるアプローチでした。現在の駅南口のあたりは、まさに完全に「裏側」。畑とカヤの雑木が広がる原野であったといわれています。





























ということで、今回は吉祥寺駅南口の古史を辿りました。現在を正確に捉えるには、過去を見つめ直して歴史的事実と文脈を担保しながら、時間軸のベクトルをつくりこんだ上で未来を見据えて考えを逡巡する必要があります。2020年の東京オリンピック、東京開催決定は本当にうれしいですが、未来だけに目を向けるのではなく、この東京という街を、歴史的文脈や時間軸をしっかり見詰めなおす良い機会になるといいですね。


次回は古代史から一気に近代史まで、針を進めてまいりましょう。