第106回 井の頭線再び!かつての「幻の支線計画」を追う(7)






























東京23区発足

1947年(昭和22年)は、東京35区からようやく現在形=23区に変更となり、日本国憲法発布(5月3日)第1回知事・市町村長選挙実施第1回参議院議員選挙第1回衆議院議員選挙第1回通常国会など今の日本の原型につながる「1」づくしの様々なイベントが続きました。そして吉祥寺にでも11月3日の武蔵野市市制が施行、いよいよ現在の武蔵野市がスタートします。ちなみに9月には井の頭恩賜公園で米軍の時限爆弾が処理中に爆発するという、波乱に満ちた幕開けの年でもありました。

そんな年に設立されたのが武蔵野文化都市建設、後の東京グリーンパーク株式会社です。社長には松前重義氏、役員に作家の武者小路実篤氏、作曲家・指揮者の近衛秀麿氏等と文化を名乗るに相応しい顔ぶれが並びます。大戦終戦で「何か新しいことしよう」という時代の空気感に満ちていたんでしょうか。


■写真:現在の武蔵野市緑町付近。幻の球場の面影が区画に残ります。







そして


そんな武蔵野文化都市建設と軌を一にして計画が進められたのが京王帝都電鉄による起死回生の大リストラクチャリング計画、井の頭線の吉祥寺駅~東久留米駅の延伸計画でした。路線敷設の計画が進められ、一部用地買収にも着手し始めていたとか。そもそも井の頭線吉祥寺駅が高架で、かつ不自然な角度で建設されているのは、その延長が意図されていたからに他なりません。

















しかし その計画に反対の声が上がり、暗礁に乗り上げます。

反対したのは吉祥寺駅北口の商店会さんなどの商店主や地主の皆さん。京王帝都もお寺や商店主と議論を重ねますが、一向に計画が進展しません。そもそも用地提供に絡む論点に加えて、始発駅でなく途中駅になることに伴う街の地盤沈下を懸念する声が大きかった様ですね。

■参考:続駅名で読む江戸・東京 著者: 大石学

 

しかし、そんな交渉難航を後目に、昭和26年の開業に向けて武蔵野グリーンパーク球場の計画は進んでいきます。焦った京王帝都が新たに計画申請したのが現在の久我山駅から分岐して吉祥寺駅を通らずに、なんと隣のJR三鷹駅を経由して、グリーンパーク球場を通り西武新宿線田無駅につながる「三鷹線」建設計画です。運輸省に申請が出されたのが昭和23年12月20日、武蔵野グリーンパーク球場開業まで3年を切っています。






















 











その申請書の添付計画書を見てみると

申請計画書(抄略)

 
区間は東京都杉並区久我山~で建設する。昭和6年の省線(国鉄)中央線の電化に伴い、京王電鉄の経営が悪化している。そこで京王電鉄の東八王子駅(現在の京王八王子駅)~府中駅間のレールを転用して建設する。川越からスポーツセンター(武蔵野グリーンパーク球場)や渋谷への来客を促進したい。


西武鉄道、関東バス、西武バスに影響があるが、スポーツセンター開設で輸送人員が増え、将来にオリンピックが開催されれば、京王のみでその輸送を行うことは難しく、西武鉄道にも将来は培養的利益をもたらすと考えられる。

また現在、西武鉄道では新宿駅乗り入れ線を工事中であり、これが完成すれば多少歯止めがかかる。沿線地主からは土地の発展、住民利便を考えて必要な用地提供の申し出がある。またこの計画に伴い、井の頭線の久我山駅~吉祥寺駅間が死滅するので、これを有効に活用したい。




となっています。この計画書も域内人口や駅利用者数など詳細・緻密に設計されています。


ちなみに計画駅は

久我山駅
牟礼駅
連雀駅
三鷹駅
帝都西窪駅
帝都柳沢駅
田無駅


の中間駅5駅計7駅。

 
乗降客試算として西武武蔵野線(池袋線)の東久留米駅、清瀬駅、田無町駅の乗降客数の25%が新線に、また西武村山線(新宿線)の田無駅、花小金井駅、柳沢駅のうち64%が新線に流れる、という読み。西武鉄道にとってみれば「培養的利益」やら「新宿駅乗り入れ線で歯止め」といった空手形で首を縦に振れるレベルの打撃ではないことがわかります。






 


■資料:井の頭線三鷹線の計画(Blog de 吉祥寺推定)

また余談ですが、この計画書が面白いのは、京王帝都電鉄で作成されたものにも関わらず、文中で「京王電鉄が、、」と記載し、駅名に帝都電鉄の「帝都」をつけている点。

井の頭線の京王と合併して京王帝都電鉄となったのが1948年6月、計画書が提出される半年前のこと。戦前の利光鶴松氏が尽力した小田急と井の頭線。東急解体後、当然小田急電鉄に戻るものと考えられていたと思いきや、京王帝都電鉄救済のため、京王と合併することに決定した急転直下な空気と、井の頭線側の自負心がどことなく感じられる記述となっています。








 


■資料:京王電鉄の沿革(京王電鉄HP)

ちなみに、小田急は井の頭線を手放す代わりに箱根登山鉄道を傘下に入れ、創業以来の「箱根急行」を実現、現在の箱根=小田急のブランドの基礎を作ります。また東急としては箱根開発で先行していたライバル西武に小田急経由で一矢報いる形になった訳で、政治的には丸く収まった感じになりました。











 









■参考:小田急電鉄ホームページ
  http://www.odakyu.jp/company/history80/02.html

■参考:京王電鉄ものがたり/松本典久




話を計画書に戻すと


最後に無視できないのが「井の頭線の久我山駅~吉祥寺駅間が死滅するので、これを有効に活用したい。」、また「沿線地主からは土地の発展、住民利便を考えて必要な用地提供の申し出がある。」と協力的であるという一文。これを見た吉祥寺駅北口の商店会や地主の皆さんは「これはマズい。京王帝都を怒らせた・・」と考えたのでしょうか。一転して吉祥寺駅から田無、東久留米駅への延伸する案に条件賛同する方向に転じます。





 


そして昭和24年12月10日


計画は元の吉祥寺駅からの延伸に戻され、吉祥寺駅~東久留米駅間の延伸にかかる免許申請が運輸省に提出、この方向で計画が進められる方向となりました。武蔵野グリーンパーク球場開業まであと2年足らず。

これで万事OK、京王電鉄が胸を撫で下ろしたかのもつかの間、その10月にこれとは異なる、ある免許が運輸省に申請されていました。その申請者は「西武鉄道」。京王電鉄の計画に危機感を抱いた西武鉄道が、京王電鉄と競合する形で新たな計画を立案していたんですね。

本線が国鉄との競争で疲弊し、起死回生の一策で絶対に譲れない京王帝都電鉄、一方で本線への影響が甚大で座して見過ごせない西武鉄道。

この両社が、生存をかけ「がぶり四つ」でぶつかることになります。



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