第112回 井の頭線再び!かつての「幻の支線計画」を追う(番外編1)










東伏見稲荷神社
(ひがしふしみいなりじんじゃ)

西東京市と武蔵野市の市境近く
にあるお稲荷さんです。「稲荷」というからにはルーツは千本鳥居で有名な京都の伏見稲荷大社です。ここから分霊勧請して創建されたのが昭和5年のこと。その8年後、昭和13年に中島飛行機武蔵製作所が近隣に建設されたこともあり、戦後「中島飛行機株式会社武蔵製作所 殉職者慰霊碑慰霊碑」が境内に建てられました。


ちなみに、稲荷神社が祭祀しているのは「五穀豊穣」の稲荷神。稲荷=つまり米俵の形を表したのが「いなりずし」で有名です。

さて、同神社に祭祀されているもう1つの神様が「佐田彦大神(さだひこのおおかみ)」。いわば「道の守り神」です。そしてこの同神社の境内脇をすり抜ける形で建設されたのが「三鷹3・2・6号武蔵野3・3・6号調布保谷線」という都道。東京の南北交通の要の1本です。


ところで、今回は「井の頭線 幻の支線」編の番外編。

その実踏レポートはインターネット上に数多く掲載されていますのでそちらに譲り、今回はただ今の調布保谷線に関連する「幻の支線」のライバル=旧国鉄武蔵野競技場線の遺構と都市計画のあり方について考えてみましょう。

例:みたかナビ
  グリーンパーク遊歩道・関前公園
  http://www.mitakanavi.com/spot/nature/green_yuhodou.html





























2013年前半のまちづくりの話題の一つが「都道3・2・8号府中所沢線」整備。

5月に、この整備計画見直し是非を問う小平市住民投票が行われ、小平市が設定した成立要件の50%を下回る投票率のため投票が不成立、非開票となった話は記憶に新しい所です。Blog de 吉祥寺でも1000年前の東山道武蔵路の歴史の観点から、この点を考察しました。


■写真:玉川上水サミット(2012年 小平市)
■参考:1000年の歴史!?小平市の道路整備と玉川上水を巡る住民投票に迫る!
    http://www.kichijoji-city.com/2013/05/1000.html
































東京の南北交通は玉川上水への架橋と切ってもきれない関係にあります。

先の調布保谷線も同様に架橋の必要があった為、橋が昨年2013年に竣工しています。そして現在は南北交通の大動脈になりつつありますね。そして、その橋こそ、武蔵野市関前~三鷹市上連雀の玉川上水にかかる「いちょう橋」「ぎんなん橋」です

■参考:YahooMap 周辺地図(A地点:「いちょう橋」「ぎんなん橋」 )


なぜ2本かと言えば「本橋」「人道橋」の2本に分橋しているからです。





























■資料:調布保谷線 玉川上水架橋部 計画図

実際、この「いちょう橋(本橋)」、橋の両端まで続く緑地帯を省略橋の蓋掛面積を最小化するなど、玉川上水保全に向けて慎重な設計がなされていることが伺えます。

そしてなぜ、この橋を取り上げたかと言えば、実はこの橋、かつての国鉄武蔵野競技場線の遺構上に位置しており、三鷹市側の堀合遊歩道、武蔵野市側のグリーンパーク遊歩道という、かつての線路跡に整備された遊歩道の取り合い点になっているからです。

































■旧武蔵野競技場線 地図(武蔵野市) A地点がぎんなん橋

これに絡めて注目したいのが、人道橋たる「ぎんなん橋」の方。このぎんなん橋架橋の着想及び設計施工にあたり2つの重要な配慮がなされています。

 1.橋ゲタを高めて設置高を上げた
 2.橋そのものに遺構のモニュメントを残した


という点ですね。

実はこの場所、旧武蔵野競技場線の橋脚が遺構として残されていました

















 

■写真:旧武蔵野競技場線橋脚跡(同橋脇の説明板写真より)

今回の調布保谷線整備により、この遺構が失われる危険性があった訳ですが、本橋と人道橋を分けて、後者の設置高を上げて旧橋脚を保全しながら人道橋を架橋しています。車道ほどは設置高の制約はありません。

そしてもう1点は橋上に「遺構」=線路を埋設した点です。






















この架橋により堀合遊歩道とグリーンパーク遊歩道が接続、つまり旧武蔵野競技場線が再接続された訳です。この「開発」によって遺構が活かされ再び陽の目を見る、という逆手の筋書き、とても良いお仕事だと思います。

■東京都北多摩南部建設事務所
    http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitanan/index.html



残念ながらこの橋脚、現在は直接視認することは難しいのですが、すぐ近くにかつての「境上水場引込線跡」の玉川上水橋脚が残されており、こちらで歴史に想いを馳せることはできそうです。























■参考:YahooMap 周辺地図(C地点:境浄水場引込線の橋脚跡)



ただ、これとは別に残念な点が1点。

調布保谷線の整備で、かつて武蔵境駅から旧中島飛行機武蔵製作所を結んでいた専用線の遺構(を感じさせる土地区画)が消滅してしまったことでしょうか。そもそもこの武蔵野競技場線、戦前の中島飛行機専用線を流用する形で建設されたものです。

■参考:YahooMap 周辺地図(B地点:中島飛行機専用線のルート)


これも時の流れ、やむを得ない部分ではありますが、この調布保谷線の説明用都市計画図上にその遺構(区画)を見ることができます(黄色い線が上の地図Bの遺構ということになります)。

堀合遊歩道に沿って画面右方向、三鷹方面へカーブしていく緑道と共に、直線する方向に明らかに周囲とは異なる筆形の土地区画が残されているのがわかります。これこそ幻の幻といわれる中島飛行機専用線の名残ですね。































あらためて

区画や地名地番などの整理は、施策の必然性・合理性、そして文化保全という3方から考える必要があります。宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」ではないですが、名前が失われると、そこに紐付く様々な記憶が風化してしまい、しかも誰も探し出さなければ、それらは永遠に失われることになりますので。

















 

■写真出典:武蔵野市報(武蔵野競技場前駅手前の分岐)


そういう視点で、この玉川上水「ぎんなん橋」架橋は、必然性・合理性、歴史保全のバランス、言い換えれば近江商人の「売り手良し」「買い手良し」「 世間良し」の3方良しを地で行く様な「最善解の1つ」として、これからも旧武蔵野競技場線と共に記憶されていくのではないでしょうか。

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