第81回 1000年の歴史!?小平市の道路整備と玉川上水を巡る住民投票に迫る!





















都市計画道路3・2・8号線府中所沢線

いきなり何やら、という所から今回のBlog de 吉祥寺は入っていきます。さて、これは何の名前かというと都市計画道路につけられた正式名称なんですね。なんだか難しい名前です。ちなみに都市計画道路とは、都市計画法に基づく重要道路のこと。3.2.8号線とは、3(幹線道路・・都市の主要な骨格をなす道路)、2(道幅が30~40m)の8号(連番)を表してるんです。

この道路はいわゆる「府中街道」のバイパスにあたる道。東京都では南北主要5路線に位置づけられている重要な道路なんですね。この計画が決まったのが今から50年前、1963年のこと。東京オリンピック(1964年)の1年前のこと。しかしその後、長年塩漬けになっていたのですが、ここに来て府中市内及び国分寺市内で事業化が進み、いよいよこれからは小平市の未通部分の整備が進められていく、というステージに移ったって訳です。

ただし今回この道路整備をクローズアップされている理由は、Blog de 吉祥寺でも10回に渡り特集を組んだ「玉川上水」との関係

この道路整備に伴い、小平市内の玉川上水緑道を分断し481本の木を伐採して36メートルの橋をかける点で地元小平の方たちを中心に反対運動が起こり、住民投票でその是非が問われる、という事態になっているからなんです。

今回はこの事態をBlog de 吉祥寺的観点から触れてみましょう。

■Blog de 吉祥寺!総力特集!吉祥寺のガンジス=玉川上水http://www.kichijoji-city.com/search/label/%E9%96%8B%E5%9C%92100%E5%91%A8%E5%B9%B4%EF%BC%81%E4%BA%95%E3%81%AE%E9%A0%AD%E5%85%AC%E5%9C%92

■写真出典:玉川上水との交差点付近(イメージ図)http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/kodaira328/about_kodaira/index4.html







































東山道武蔵路

また道路名がでてきました。「中山道(なかせんどう)」なら聞いたことあるよ、という方もいらっしゃるんではないでしょうか。しかし、中山道は戦国時代以降の江戸期に整備された5街道の一つ。東山道の歴史はその時代からさらに1000年ほど前、時は平安時代に遡るんですね。この道、当時朝廷から岩手北上の鎮守府、そして陸奥国府多賀城に向かう、「東夷(あずまえびす)」という未開地も多かった東北・蝦夷地の平定を担う超重要な主要幹線道路の名前なんですね。

■写真出典:SAKAINET
http://www.sakainet.co.jp/images/news/n39_01.gif


余談ですが面白いのは、当時の関東地方、今とは違って新幹線が走っている海沿いの東海道からではなく、信州方面から山を超えて抜けてくる「東山道」でアクセスされているエリアだったってこと。今でいうと碓氷峠を抜けてくるイメージでしょうか。なので、関東平野で東山道が通っていたのは北関東、現在の群馬・栃木のあたりだったんです。

そうなると、ルートから外れてしまうのが当時の武蔵国。現在の群馬県前橋周辺の上野国府から武蔵国府がある東京都府中市まで達する「南北の道が枝道が必要になったんです。この枝道こそが「東山道武蔵路」なんです。

ちなみに武蔵国が東海道に移ったのは771年。それ以降、東山道武蔵路は官道(国道)から外れ、間道(枝道)に降格されて、不遇の時代に入ったりします。


、時は流れて1192年。鎌倉幕府が誕生すると鎌倉と諸国を結ぶ道路整備が進められます。これが現在、関東でも各地に残る「鎌倉街道」「鎌倉往還」という訳なんですね。そのうち鎌倉街道上道(かみつみち)として整備されたのが鎌倉から多摩西部の府中や国分寺、小平を経て群馬に至る道路だったんですね。府中より北側はまさにかつての東山道武蔵路。かつての国府間の幹線道路は300年の歴史を経て武家政権の軍用道路として、ここに復活するんです。

しかしその後、時代は流れて政治経済の中心が鎌倉から室町・安土桃山・戦国時代を経て徳川開幕後は江戸へ。江戸市中、日本橋起点の5街道が全国に向けて整備されると、鎌倉道はいよいよ軍用道路としての意義を失い、またも不遇の時代になります

しかしこの道の命運は尽きなかったんですね。明治維新後、東京都心を核とした放射幹線道路が整備、第二次世界大戦後は、都心をグルリと幾重にも取り囲む環状道路が整備が進められる中で、多摩地区における環状(南北)アクセスの要諦として、この道路に再びスポットがあたるんです。自動車時代が本格的に幕を明けて高度成長の始まる1960年代のことですね。ちなみに都市計画の決まった1963年にはホンダが鈴鹿サーキットを開設、その前年、1962年には首都高速道路が初めて開通した時代なんです。






























■写真出典:東京都都市整備局/多摩南北道路整備http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/cpproject/traffic/25/toshishisetsu25.html

1000年以上の歴史を持ちながら時の政治経済に翻弄され、浮沈を繰り返してきた道路、それがこの鎌倉街道・府中街道なんです。無人の平野に延びる獣道(けものみち)ではありませんが、この道路の不死鳥ぶりには何らかのフラクタルな歴史的宿命や必然性を感じざるをえません。ちなみに正確に言いますと多摩川を渡る関戸橋から南側を鎌倉街道線と呼び、関戸橋から北側を府中所沢線と言います。

そしてそれを拡張&並行整備される、いわば東山道武蔵路の進化系が、この「都市計画道路3・2・8号線府中所沢線」。そして、その盛衰を握るのが小平市内の未通区間1.4km。まさに律令時代から続く1000年以上の歴史の争点が再び顕在という訳です。


一方、1653年に開削され350年以上の歴史を持つ玉川上水。まさに「歴史の必然」と「歴史の保全」のぶつかり合いとも言えるでしょう。






























■写真出典: 2012年5月13日 読売新聞
 玉川上水ブランドのお茶  鈴木園(小平市)の鈴木庸夫社長は「特産品として地域を元気にする手助けに」と意気込んでいる。
  


玉川上水サミット開催(2012/9/29) Blog de 吉祥寺
 
http://www.kichijoji-city.com/2012/10/929.html




きたる2013年5月26日(日)

いよいよこの争点の是非をめぐる住民投票が行われます。この投票結果を受けて、どの様な方向性で話が進むのか。住民投票の結果とその政治的な扱われ方に衆目が集まっています。ただ別の見方をすれば太古の昔、関東以北への大動脈であった東山道武蔵路の奇跡の再興なるかという側面も。投票後の不毛の住民分断や二項対立を抑える意味でも、是非こういった歴史的な側面からの意義ってやつにも注目して考えていきたい所ですね。



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