第114回 井の頭線再び!かつての「幻の支線計画」を追う(番外編2)






45年ぶりの大雪

ということで、2月8日~9日の大雪により都心の積雪は実に27cmを記録。やや内陸の吉祥寺でも目測30㎝くらいの積雪でした。現在、掻い掘り(かいぼり)中の井の頭恩賜公園井の頭池も、池底に雪が積もり一面銀世界という、まさに有史以来の光景が広がっていました。

さて45年ぶり=1969年以来の大雪とのことですが、45年前といえば国鉄吉祥寺駅ビル「ロンロン(現・アトレ吉祥寺)」が開業した年でもあります。

辛くも再び大雪の今年2014年に新駅ビル開業とのことで、奇妙な符号というべきでしょうか。

と、これもさておき

「かいぼり」が続けられる井の頭池ですが、今回と次回で井の頭池にまつわる過去と未来を見てみましょう。むろん、閑話休題「井の頭線再び!かつての「幻の支線計画」を追う(番外編2)」とのことで、その筋から見てまいります。

■東京の年最深積雪の記録と年間降雪日数
  http://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/kiroku/kiroku/data/64.htm






井の頭線 井の頭公園駅

皆さん、よくお馴染みのこの駅。

開業は昭和8年8月ということで、昭和9年4月開業の井の頭線(当時:帝都電鉄)吉祥寺駅より実は先輩の駅ですね。このあたりの経緯は以前特集しましたね。井の頭線で最も乗降客数の少ない駅であり、路線バスが駅前や近傍まで乗入れていない都区内では珍しい駅といえるでしょう。

■特集「2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う(4)」
 http://www.kichijoji-city.com/2012/09/2017100_28.html#more

さて

この井の頭線、開業当初の呼び名は「帝都電鉄」という仰々しい名前。

もともとの計画は「渋谷急行電鉄」にルーツがあります。時に「第二山手線」と呼ばれ、1926年に免許申請された「東京山手急行電鉄」と共に、鬼怒川水力発電総帥の「利光鶴松」氏が経営を担い、開業のキーマンになります。

この点は以前の特集の通りです。

■特集「幻の井の頭線計画?小田急電鉄と井の頭線の接続線の謎を追う!(1)」 http://www.kichijoji-city.com/2013/06/blog-post.html#more


















もともと同氏が経営していたのが1927年開業の「小田原急行電鉄(現:小田急電鉄)」。うまくいけば「小田急」「渋急」「山急」の三"急"電車だった訳ですが、小田急は開業当初の経営が芳しくなく、困った利光鶴松氏が奇策としたのが、渋谷急行電鉄たる帝都電鉄の先行開業でした。

その奇策のカギとなったのが明大前駅と明大前駅~吉祥寺駅間の路線計画の変更です。

















具体的には、もともと通る予定のない明大前駅(当時:松澤駅)に帝都電鉄を通すため先行整備することで、もともと明大前駅を通す予定の「東京山手急行電鉄」の先行投資とする計画です。

よく言われている「明大前駅の北側の玉川上水架橋は井の頭線と東京山手急行電鉄を通すために4本のトンネルが先行整備されている」という点ですが、次の「松澤停車場設計平面図」の4線ホーム設計を見ても、その意図があることがうかがえます。



















■参考資料:明大前駅(松澤停車場)設計平面図(東京都公文書館所蔵)
     
     

次に明大前駅~吉祥寺駅間のルーティングです。

もともと渋谷"急行"電鉄とのことで、できるだけ踏切を作らず=開削や橋脚を多くしてスピードアップを図る、という点が本計画の原点でしたが、上記背景から永福町~吉祥寺駅までは一級河川たる神田川沿いのルートとなり開削や橋脚は明大前駅~渋谷駅間ほど多くありません。

みなさんも明大前駅を境に、渋谷側と吉祥寺駅側で電車の窓から見える景色の雰囲気が何となく異なっていることが感じられると思います。渋谷駅側は何となく開削=法面の窓景が多いのではないでしょうか。

























開削区間を増やすには、既に開けている神田川沿いではなく、むしろ玉川上水の通る南側の大地を通す方が良い訳です。したがって当初の井の頭線も今のルートとは異なる南側のルートで計画されていました。

そして吉祥寺駅近傍での計画ルートはというと、現在の井の頭恩賜公園の南側を通り、井の頭自然文化園側に「駅」があり、吉祥寺駅に西側から回り込む、というものでした。





















そのルート上には、井の頭線の構想主である渋沢栄一氏が学園長を務めた「井之頭学校」があり、当時の井の頭恩賜公園の入口がありました。

皆さんが井の頭恩賜公園に行くとき、今でこそ「いせや」から降りていくルートを通ることが多いと思いますが、当時はこのルートは存在しません公園入口は吉祥寺通りにありました

そして「井の頭公園駅」はその入り口近く、井の頭自然文化園側、井之頭学校側に開設される計画でした。現在とは井の頭池を挟んで正反対ですね。

■写真:帝都電鉄 計画変更添付図面(国立公文書館所蔵)



















■写真:井之頭恩賜公園平面図(開業時) 
   ※上下逆さにしています。上側が吉祥寺駅方面
   ※旧井の頭公園駅は平面図左上側に開設予定でした


余談ですが、この地図(帝都電鉄計画変更添付図)には三鷹駅が存在していません。中央線の地図左端、玉川上水との交点に現在の三鷹駅があります。

この当時は駅はなく「三鷹電車庫」があるのみでした。この地図の作成と前後して三鷹電車庫は駅に昇格し1929年(昭和5年)に「三鷹駅」ができます。
























■参考資料:三鷹駅(仮)建設に向けた現場立ち入り申請書
         (鉄道省から東京府知事宛)



ということで

あらためて、今回は井の頭線の「幻の支線」というより「変更前の本線」という話でした。この計画通りに井の頭線が開通していれば、現在の井の頭公園駅は存在せず、公園の西側、御殿山付近に駅が開設されていた訳です。

井の頭恩賜公園も、その後の吉祥寺通り(たぶん井の頭線と立体交差?)吉祥寺のまちづくりも大きく変わっていたことでしょう。


















■参考資料;井の頭自然文化園脇(御殿山)に残る「工」の杭
        (旧鉄道省敷地境界を示す)



さて余談ですが

45年ぶりの大雪に見舞われた2月9日(日)に放映された「サザエさん」。先日急死された頑固一徹「磯野波平」そしてその兄弟「磯野海平」さんの声優の永井一郎氏が生前1月23日に残した最後の回が放映されました。

奇しくも45年前のこの年、サザエさんのTV初放映年。45年間、日本のお茶の間の「父親」たる磯野波平を続けられてきた永井一郎さんのご冥福を改めてお祈り申し上げたいところです。