第87回 Blog de まとめ!!第60回~85回をハイライト!


















ということで

ムシムシした日が続きますね。2013年の梅雨も7月に入っていよいよ終盤。そしてBlog de 吉祥寺も100回をとうとう超えました。話題の多い吉祥寺の街ですがサブカル的な切り口、歴史の切り口、いくら掘っても掘りきれないというのが実感です。いつもご覧いただいている皆さんに感謝申し上げると同時に、これからも引き続きよろしくお願いいたしま

では、恒例のBlog de まとめ、今回は60回~85回にスポットをあててスタートしてみます。この25回は「玉川上水」「井の頭公園」など、吉祥寺の街を骨格をなす、とても重要なテーマで特集を組んでまいりました。


■写真: 2012年9月29日に開催された玉川上水サミット
■過去の「Blog de まとめ」はこちらから
 http://www.kichijoji-city.com/2011/09/blog-deblog-de-httpkichijoji.html#more

























■吉祥寺のガンジス?街を育んだ母なる流れの謎に迫る!!
 http://www.kichijoji-city.com/search/label/%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E7%8E%89%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4



「なぜ吉祥寺の街はこの場所にできたのか。」

という問に真剣に向き合った特集でした。

この命題に素直に応えるとすれば「そこに玉川上水と五日市街道があったから」なんでしょうか。吉祥寺と切っても切れない重要な水路=玉川上水。現在は「史跡玉川上水整備活用計画」が策定され、平成31年にかけて史跡保存活動が進められています。「玉川上水は大自然ではない。人がつくった構造物なんです」という武蔵野市長の邑上さんの玉川上水サミットでの言葉が印象に残っていますね。Blog de 吉祥寺のなかでもアクセスが集まる特集の一つです。

■写真出典:東京都水道局(昭和30年代の玉川上水と五日市街道)

<玉川上水特集のタイトル一覧>
 ○武蔵国幕府領 吉祥寺の起こりと玉川上水
 ○そもそも玉川上水ってなんぞや 
 ○「島原の乱」や「寛永の大飢饉」と玉川上水
 ○多くの謎が残る上水着工の秘話
 ○玉川上水をめぐる政治的陰謀
 ○我田引水?四ツ谷が終点のわけ
 ○玉川上水水運が始まる!?
 ○ヨドバシ吉祥寺と玉川上水の関係?
 ○コンセプト新たに!今よみがえる玉川上水




























そして

スピンアウト的に発生したのが「玉川上水サミット」と「玉川上水と神田川の合流」「小平の住民投票」の話でした。2012年9月29日に小平市の津田塾大学で開催された「玉川上水サミット」。

玉川上水中流域の7自治体首長(立川市、小平市、小金井市、西東京市、三鷹市、武蔵野市、杉並区)をパネラー招いて開催された一大サミットでした。ここでの小平市長の小林さん「(玉川上水)保全をみんなで考えていく必要がある。住民一人ひとりの想いが大切。」という言葉。今にして追えば、2013年5月の「都市計画道路3・2・8号線府中所沢線」の開発是非を問う住民投票の非開票問題」となんとなく矛盾を感じさせますね。

そして行われた2013年5月26日の小平市住民投票。Blogでは、律令時代の東山道武蔵道以来の1000年以上の歴史の争点が再び顕在!というオリジナルの切り口でフォーカスしました。

 ■写真出典:読売新聞(小平市で販売されている玉川上水のお茶)

 ○後日談: 吉祥寺のガンジス=玉川上水編 ~ 玉川上水サミット開催(9/29)
   http://www.kichijoji-city.com/2012/10/929.html
 ○後日談: 吉祥寺のガンジス=玉川上水編 ~ 玉川上水と神田川の邂逅
   http://www.kichijoji-city.com/2012/09/blog-post_17.html
 ○後日談: 小平市の道路整備と玉川上水を巡る住民投票に迫る!
   http://www.kichijoji-city.com/2013/05/1000.html






























■2017年の開園100周年に向けて!井の頭公園の歴史を追う
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江戸時代は幕府領、明治維新を経て当時の実力者岩倉具視氏の差配もあり帝室御料地に組み入れられた東京府北多摩郡武蔵野村御殿山の森のエリア。現在の井の頭公園のエリアです。当時は多摩川上流の水源地たる奥多摩と同じように神田川の「水源地」という扱いで多くの杉が植林されたりしていました。

そんなに森に目をつけたのが日本の資本主義の父こと渋沢栄一氏。そしてそれを支えたのが、東京府職員で後に多磨霊園の設計を手掛けた井上清氏。二人が当時の欧米諸国に肩を並べる理想の郊外型公園を作ろう壮大な理想をもって出来上がったのが井の頭恩賜公園だったんです。

ちなみに、話題の中で取り上げたのが、その頃井の頭公園西園の敷地を使って開催されていた「第29回全国都市緑化フェア」。

省庁縦割りの行政サイドかつ武蔵野に縁の薄いコンサル中心のプランニングを少々批判的に取り上げましたが、15億円を投入したのイベントにしては跡地は既に何もなく、記憶からも薄れていってしまっています。関係者のご尽力には頭が下がりますが、中途半端なイベントだった印象はぬぐえません。

■写真出典:渋沢栄一氏銅像




















■幻の井の頭線計画?小田急電鉄と井の頭線の接続線の謎を追う!
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最近、日経さん朝日新聞さん井の頭線延伸のネタ(Blog de 吉祥寺を取り上げた訳ではないです)を取り上げて特集が組まれました。大手全国紙でもこのあたりがお好きな方がいらっしゃるんでしょうか。

で、こちらでは戦中戦後の幻の線路と言われた、小田急と井の頭線をつなぐ「代田連絡線」を特集しました。1945年の東京大空襲と永福町車両基地の壊滅で路線消滅の崖っぷちに立たされた戦中の井の頭線。それを救うための大作戦が代田連絡線建設であり、それを担ったのが南満州鉄道敷設などで戦中の日本の大陸・南洋戦線を支えた陸軍工兵隊鉄道連隊だったんですね。その活躍と井の頭線の復興を支えた東急車両にもフォーカスして特集しました。


ということで100回に向けて大詰め!Blog de 吉祥寺、これからもどうぞよろしくお願いします。